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2026年5月24日日曜日

京都ユダヤ思想学会第19回学術大会

京都ユダヤ思想学会
第19回学術大会

日時:2026年6月27日(土)
会場:同志社大学今出川キャンパス良心館107教室(RY102) およびオンライン(Zoom)

■スケジュール   
10:10 受付開始(対面会場開場およびZoom開室)   

【個人研究発表】
10:40−12:00  10:40-11:20 研究発表① 
「可能性に先行する現実性―エーディト・シュタインが描くトマス・アクィナスとフッサール」
発表者:長坂 真澄(早稲田大学)
司会:村岡 晋一(中央大学)

11:20-12:00 研究発表② 
「サアディアの知性観―『信仰と意見の書』とダニエル書訳の比較で―」
発表者:加藤 伽弥(同志社大学大学院博士課程)
司会:志田 雅宏(静岡県立大学)

【シンポジウム】13:00−17:00
「古代におけるエジプトとユダヤ思想」
13:00-13:05 趣旨説明  津田 謙治(京都大学)
13:05-13:45  発題①   宮川 創(筑波大学)
「古代エジプト・エレファンティネ島―アラム語文献が語るユダヤ人共同体と文化的多様性」
13:45-14:25 発題②    勝村 弘也(神戸松蔭大学)
「エジプトの知恵文学とその影響 ―箴言からソロモンの知恵まで」
(休憩10分)
14:35-15:15 発題③    津田 謙治(京都大学)
「アレクサンドリアにおけるユダヤ教と夢概念―悲劇作家エゼキエルを中心に」
15:15-15:55  発題④    武藤 慎一(大東文化大学)
「古代末期の2つの聖書理解 ―エジプトとシリア」
(休憩15分)
16:10-17:00 質疑応答

【総会】17:30−18:00

【情報交換会】 18:30−20:30 (懇親会)

参加を希望される方は下記登録フォームから登録をお願いします(登録締切は6月23日(火))。
https://docs.google.com/forms/d/1OOgBWcBOBxfuJDWKg6yS-IUOzzjQAzfvuQ45nwFpw9w/edit

京都ユダヤ思想学会ウェブサイト
https://sites.google.com/site/kyotojewish/o-zhirase?authuser=0



2025年8月5日火曜日

『京都ユダヤ思想』第16号(2025年)

 京都ユダヤ思想学会学術誌

『京都ユダヤ思想』第16号(2025年)

目次

【巻頭言】
伊藤 玄吾「Ad fontes」(1-7頁)

【論文】
御堂 大嗣「『エリヤ・レヴィータのゼバスティアン・ミュンスターへの書簡、学び多き』(1531年)の和訳と解説及び考察」(8-30頁)

長坂 真澄「存在についての思惟と無限についての思惟—デリダ「暴力と形而上学」におけるスコトゥス言及をめぐって―」(31-56頁)

第17回学術大会シンポジウム「シャガールとイディッシュ文化」
【導入】
吉野 斉志「聖書とユダヤを描いた画家シャガール」(58-69頁)

【報告】
圀府寺 司「「ユダヤ人」近代画家としてのシャガールの特異性」(70-96頁)

樋上 千寿「S.アンスキーの『ディブック』と、シャガールの「ユダヤ劇場壁画」」(97-115頁)

細見 和之「シュテットルにおけるハシディズム―マルティン・ブーバー『ラビ・ナフマンの物語』から―」(116-135頁)

【特別講演】
アヴィドヴ・リップスケル「シャイ・アグノンの著作における「書誌学」と「書誌哲学」の考察」(136-159頁)

2025年6月6日金曜日

京都ユダヤ思想学会2025年度第18回学術大会

京都ユダヤ思想学会2025年度第18回学術大会
「記憶・夢・預言―20世紀初頭の心理学とユダヤ思想の交差―」

日程:2025年6月28日(土) 
開催形態:対面(同志社大学今出川キャンパス良心館203教室)とオンライン
(どちらの参加の場合でも申し込みが必要です)

プログラム: 9:30 受付開始(対面会場開場およびZoom開室)

【個人研究発表】(10:00−12:00)

 10:00-10:40 研究発表①
「工学者にして芸術パトロン、ヤコフ・カガン=シャブシャイとそのユダヤ美術館構想について」
発表者:吉野 斉志(関西大学)
司会:圀府寺 司(大阪大学)

 10:40-11:20 研究発表②
「サタン像の変遷―ユダヤ・キリスト教における「悪」の役割について―」
発表者:大澤 耕史(中京大学)
司会:勝又 悦子(同志社大学)

 11:20-12:00 研究発表③
「存在のカテゴリーとしての「ユダヤ的実存」―レヴィナスのローゼンツヴァイク読解に寄せて」
発表者:佐藤 香織(富山大学)
司会:渡名喜 庸哲(立教大学文学部教授)


【シンポジウム】(13:00−17:10)

「記憶・夢・預言 ―20世紀初頭の心理学とユダヤ思想の交差―」

 13:00-13:05
趣旨説明  北村 徹(同志社大学) 

 13:05-13:45 基調講演 森岡 正芳(立命館大学)
「言語・記憶・他者 ―ユダヤのエートスからもう一つの心理学へ」

 13:45-14:15 発題① 堀村 志をり(元・東京大学大学院)
「「凝縮」概念から読み解くヴィゴツキー理論―内言論および遊び論を中心に」

 14:15-14:45 発題②    長田 陽一(京都光華女子大学)
「消滅をめぐる言葉 ―フロイトとツェラン―」

 (休憩15分)

 15:00-15:30 発題③    佐藤 貴史(北海学園大学)
「ユダヤ思想と「民族心理学」の成立」

 15:30-16:00  発題④    手島 勲矢(京都ユダヤ思想学会会長)
「預言者の1人称と自意識―ユダヤの文法伝統から考える「霊魂」と「心」」

 (休憩10分)

 16:10-17:10 質疑応答

【総会】(17:30−18:00)

【懇親会】(18:30−20:30)

詳細および申し込み方法については学会のウェブサイトに記載されています。
https://sites.google.com/site/kyotojewish/o-zhirase?authuser=0

2024年5月28日火曜日

京都ユダヤ思想学会第17回学術大会

京都ユダヤ思想学会第17回学術大会

日時: 2024年6月22日(土)
会場: 同志社大学今出川キャンパス良心館107教室(RY107)およびオンライン(Zoom)

【参加方法】  
参加を希望される方は下記登録フォームから登録をお願いします(登録締切は6月17日(月))。
https://docs.google.com/forms/d/1hu9MtnnjKz-E7VH2FDCuG9OCMQGIaTNLYkQchOJz_ug/edit

ご参加に必要な情報(オンライン参加のURLなど)は、6月20日(木)以降、ご登録いただいたメールアドレスにお知らせいたします。
6月21日(金)17:00までにメールが届いていない場合は、お手数ですが、事務局(hebraicaveritas@gmail.com)までご連絡ください。
なお、総会を除き、非会員の方も参加可能です。

【スケジュール】

 9:00 受付開始(対面会場開場およびZoom開室)

【個人研究発表】(9:10−12:30)

9:10- 9:50 研究発表①
「デリダのレヴィナス論「暴力と形而上学」の再考:ドゥンス・スコトゥスの存在の一義性を背景に」
発表者:長坂 真澄(早稲田大学)
司会:馬場 智一(長野県立大学)

9:50-10:30 研究発表②
「聖書~第二神殿時代までの呼称から考える「ユダヤ人」」
発表者:大澤 耕史(中京大学)
司会:津田 謙治(京都大学大学院文学研究科教授)

10:30-11:10 研究発表③
「初期フロムにおけるユダヤ教についての思索 ―『ユダヤ教の律法』を中心に」 
発表者:五反田 純(京都大学大学院)
司会:佐藤 貴史(北海学園大学)

11:10-11:50 研究発表④ 
「ブーバーとベングリオンによる「理想的な地」の理解―聖書注解を中心に―」
発表者:平岡 光太郎(同志社大学)
司会:小野 文生(同志社大学)

11:50−12:30 研究発表⑤ 
「エリヤ・レヴィータからゼバスティアン・ミュンスターへの書簡(1531年)の和訳及びその背景と考察
発表者:御堂 大師(無所属)
司会:手島 勲矢(無所属)

【シンポジウム】(13:30−17:15)

「シャガールとイディッシュ文化」

13:30-13:50 導入   
吉野 斉志(関西大学)「聖書とユダヤを描いた画家シャガール」

13:50-14:30 発題① 
圀府寺 司(大阪大学)「「ユダヤ人」近代画家としてのシャガールの特異性」

  (休憩)

14:40-15:20 発題② 
樋上 千寿(NPO法人イディッシュ文化振興協会)「アンスキーの『ディブック』と、シャガールの「ユダヤ劇場壁画」」

15:20-16:00 発題③
細見 和之(京都大学)「シュテットルにおけるハシディズム―マルティン・ブーバー『ラビ・ナフマンの物語』から―」

 (休憩)

16:15-17:15 質疑応答

【シンポジウム】 「シャガールとイディッシュ文化」
吉野 斉志(シンポジウム企画担当/関西大学非常勤講師)
マルク・シャガール(1887-1985)は20世紀でもっとも有名なユダヤ人画家の一人であり、大衆的にも高い人気がある。聖書に由来する主題や東欧ユダヤ人の伝統文化を描いたその作品は、しばしば聖書やユダヤに関する書籍の挿画にも使われてきた。
しかし、シャガール作品のユダヤ文化的背景は、よく知られているとは言えない。実際、ロシアのヴィテブスク(現ベラルーシ)でイディッシュ語を母語とするユダヤ人の家庭に生まれてロシア語で公教育を受け、ユダヤの伝統に反して画家となり、フランスで活躍した彼のアイデンティティ自体が、一筋縄ではいかないものである。ましてや、これらの言語と東欧ユダヤ文化までも踏まえて作品を解釈できる研究者が少なかったのも、無理からぬことと言えるだろう。
とはいえそんな中でも、シャガールの作品がイディッシュ語の諺やミドラッシュを踏まえていることを指摘した Amichai-Maisels の研究は、一般向けの美術書などでも断片的ながら引用されており、2003年には Benjamin Harshav によるシャガールの著述・書簡(多くは原文イディッシュ語)の英訳および解説が刊行されている。日本でも2011年に圀府寺司編『ああ、誰がシャガールを理解したでしょうか?』が出版されたのは、大きな一歩であった。
本シンポジウムでは3名の研究者を招いて、シャガールの作品理解を進める予定である。まずは近年の研究によって明らかになってきたシャガール作品の背景と欧米の美術界におけるシャガール像の形成について圀府寺司氏(大阪大学名誉教授)が、ついでクレズマー音楽とシャガール作品の関係について、樋上千寿氏(NPO法人イディッシュ文化振興協会)が論じる。最後にシャガール作品そのものからは離れて、マルティン・ブーバーの『ラビ・ナフマンの物語』に見られるシュテットルとハシディズムの描写を細見和之氏(京都大学)が論じる。




2023年8月26日土曜日

『京都ユダヤ思想』第14号(2023年)

 京都ユダヤ思想学会

『京都ユダヤ思想』第14号(2023年)

目次

【巻頭言】
村岡晋一「ヘルマン・コーヘンとドイツ・ユダヤ思想」(1-6頁)

【論文】
新井雅貴「イザヤ書14章19節における死者崇拝の場としての墓の重要性—השלכת מקברךの解釈を中心に―」(7-28頁)

長坂真澄「不動の動者と作用因としての神―デリダ、シェリングを迂回するハイデガー技術論の読解」(29-51頁)

松葉類「レヴィナスにおける「国家」の概念化―「自由と命令」における政治的な問い―」(52-69頁)

【大会報告】
第15回学術大会シンポジウム
「文法、カバラー、詩―ヨーロッパ・ルネサンス期の言語思想とユダヤー」

会長講演:
手島勲矢「ヘブライ語文法とユダヤ神秘主義 マソラ―から考える両者の関係」(72-144頁)

報告1:
根占献一「フィチーノ、ジョヴァンニ・ピーコと仲間たち―ロレンツォ・イル・マニフィコ時代のヘブライ思想—」(145-165頁)

報告2:
久保田静香「ペトルス・ラムスの「方法」と文法改革―16-17世紀に普及したヘブライ語文法書との関連において―」(166-188頁)

報告3:
伊藤玄吾「ヘブライ語とルネサンス詩学―TehillimとPsalmoiのあいだ―」(189-219頁)

【その他】
京都ユダヤ思想学会活動の記録(2022年度)(220-222頁)

学会誌『京都ユダヤ思想』「査読者氏名」制度(223-225頁)

京都ユダヤ思想学会規約(227-230頁)

『京都ユダヤ思想』論文執筆要項(231-233頁)

2023年5月7日日曜日

京都ユダヤ思想学会第16回学術大会(2023年度)

 京都ユダヤ思想学会第16回学術大会

日時:2023年6月24日(土)
会場:同志社大学今出川キャンパス良心館地下1教室(RY地1)およびオンライン(Zoom)
要事前申込(対面・オンライン参加問わず)
申込フォーム
https://docs.google.com/forms/d/1YwklrQdn3VDBXZ3vm2lg3GO3y_oka1atsoOBeDFg694/edit

9:30 受付開始

【個人研究発表】(10:00−12:00)

10:00-10:40 研究発表①「機能主義は唯物論か?パトナムと心身論」
発表者:吉野 斉志(関西大学)
司会:長坂 真澄(早稲田大学)

10:40-11:20 研究発表②「ヒューマニズムによる人間形成(Bildung)の課題―M. ブーバーのユダヤ民族教育論を手がかりに」
発表者:三木 春紀(慶應義塾大学大学院)
司会:田中 直美(福山市立大学)

11:20-12:00 研究発表③「ヨセフ・B・ソロヴェイチクの哲学 ―『ハラハー的人間』から『孤独な信仰者』へ―」
発表者:志田 雅宏(東京大学)
司会:合田 正人(明治大学)

  (休憩)

【シンポジウム】(13:00−17:00)「人称と沈黙: ブーバーとロジャーズから」

第1部 13:00-14:40  司会:平岡 光太郎(同志社大学)
13:00-13:05 挨拶・趣旨説明など 手島 勲矢(シンポジウム企画者)

13:05-13:45 提題① 森岡 正芳 (立命館大学)
「人称と沈黙:ブーバーとロジャーズ「対話」再考」

13:45-14:15 提題② 堀川 敏寛(東洋英和女子学院大学)
「『我と汝』テキストを読み直す」

14:15-14:40 提題③ 手島 勲矢(京都大学)
「ヘブライ語文法の対話:ディクドゥークから考える三人称の存在と沈黙」

(休憩)

第2部 15:00-17:00  司会:平岡 光太郎・手島 勲矢
15:00-15:30 提題④ 平尾 昌宏(立命館大学)
「ブーバーと〈日本語からの哲学〉」

15:30-16:00 提題⑤ 武藤 慎一(大東文化大学)
「シリア・キリスト教から見た『我と汝』」

(休憩)

16:00-17:00 パネリストとフロアの座談会(質疑応答)

シンポジウム「人称と沈黙:ブーバーとロジャーズの「語り」を読み直す」

概要:2023年はブーバーの記念碑的著作『我と汝(Ich und Du)』(1923年)の発刊から100年目になる。『我と汝』は、当時の色々な具体的な社会や政治の対立が、著者の意識の中で、複合的に重なり合って生まれたテキストと想像されるが、第二次大戦後(1957年)、カウンセリング心理学の提唱者カール・ロジャーズは、その『我と汝』の考え方に深く共鳴して、ブーバーに公開の対話を呼びかける(ロブ・アンダーソン著『ブーバー・ロジャーズ対話』2007)。ブーバーは、その呼びかけに最初は乗り気でなかった。それは、大衆化した「対話」概念に、ある種の反発を抱いていたためでもあり、加えて「黙するに時あり、語るに時あり」(コヘレト3:7)と考えるヘブライズムの影響もあるだろう。ユダヤにとって語りと沈黙は、表裏一体でもある。その点をアンドレ・ネエル(『言葉の捕囚』The exile of the Word, from the silence of the Bible to the silence of Auschwitz1981)は、アウシュビッツを語ることが足りないと批判する若いユダヤ世代に対して、聖書の「沈黙」の思考で応答した。

 ブーバーの「我-汝」「我-それ」の根元語は、二者の対話の言語である前に、個人の中にある言語の、文法的な人称を踏まえた、二重構造としても捉えることができる。それはアラブの人々の沈黙の上で成り立つ欧米オリエンタリズムの「対話」の偽善性を批判するエドワード・サイードの人称の感受性(我々と彼らの区別)にも通じる「我」の意識を前提とした構造でもある。対話は、向き合う当事者たちの一人称と二人称の「声」ばかりで成立していない。奪われ抹殺された過去の人々や、圧政下の声を出せない人々の「沈黙」の三人称の声もそこに含まれる。そして「沈黙」は互いの声に耳を傾け合う対話のその時にもある。目前に見つめる「あなた」がいて、その存在の沈黙に向かって応じる言葉が見つからず「黙」してしまう「私」がいる。今、100年を経て、ブーバーとロジャーズの対話に再び向きあって、ユダヤの文脈を超えた「我と汝」の、その哲学的な「語り」の普遍的な意義を、皆で再検討してみたいと思う。(シンポジウム企画担当:手島勲矢)

京都ユダヤ思想学会ウェブサイト(各報告要旨あり)
https://sites.google.com/site/kyotojewish/o-zhirase?authuser=0

2022年6月8日水曜日

京都ユダヤ思想学会第15回学術大会(オンラインのみ)

 京都ユダヤ思想学会第15回学術大会

公開シンポジウム
文法、カバラー、詩
― ヨーロッパ・ルネサンス期の言語思想とユダヤ ―
〜古のことばの深みへと迫る若き情熱の時代を読み解く〜

日時: 2022 年 6 月 25 日(土)
会場: 同志社大学今出川キャンパス至誠館 32 教室
およびオンライン(Zoom)
【6/22更新:開催形態がオンラインのみに変更されました!】

【個人研究発表】(9:20ー12:00)*参加費500円がかかります。
【シンポジウム】(13:00−16:45)*参加費無料です。

*申し込みは締め切りました。

個人研究発表

9:20-10:00
松葉 類(同志社大学)
「レヴィナスにおける「国家」の概念化 ―「自由と命令」における政治的な問い」

司会:藤岡 俊博(東京大学)

 本発表はエマニュエル・レヴィナスの一九五〇年代初頭の思索において、「国家」が概念化される仕方について論じる。一九五三年の論考「自由と命令」でレヴィナスは、プラトンの『国家』を参照しながら、自由を保障する国家の必要性を説いている。自由な行為にとって、圧政による妨害とそれに対する服従の内面化は避けがたく、あらかじめ自己の外に命令を設けなければならない。この自由の条件となる命令は、プラトンのいう「正義の国家」と重ね合わされ、政治的には成文法や制度という形態をとる。しかし、こうして打ち立てられた命令は非人称的なものであり、そのつど更新されていく意志の自由を疎外する別の圧政となってしまう。ここで自由の条件となった命令が、他者たちとの関係における「言説に先立つ言説」に基づく限り、この成文法は圧政とは異なる仕方で主体に働きかける。つまり、レヴィナスは、他者との関係に基づく限りで、圧政を阻止するために政治的形態あるいはプラトンのいう「国家」を要請している。
 他方、広い意味での戦争がもたらすのも、主体の自由を妨害する圧政である。戦争において主体の自由にみずからの自由を暴力的に対置するのは、「顔をもたない」他者、敵として「集団となった他者」である。この他者と主体は、「顔」のように正面からではなく、つねに斜めから出会うことになる。
 ここで検討されるべきは、主体に対していままさに暴力的に対立するこの他者に対して、かの政治的形態がいかにして働くかという問いである。さらにこの政治的な問いが、レヴィナスのユダヤ的著作においても切迫した形で問われていることが示されなければならない。以上のことによって、主著『全体性と無限』への思索の途上におけるレヴィナスの政治思想の射程が明らかとなるであろう。

10:00-10:40
長坂 真澄(早稲田大学)
 「不動の動者と作用因としての神 ―ハイデガーの技術論のデリダによる読解から」
司会:丸山 空大(東京外国語大学)

 1975-76 年講義『理論と実践』においてデリダは、ハイデガーが講演「技術への問い」および「科学と省察」(ともに 1953 年)で展開するアリストテレス読解をやや詳細に辿る。そこでデリダは、ハイデガーの或る奇妙な主張に注意を促している。ハイデガーによれば、アリストテレスが「アイティオン(αίτιον)」と呼んでいたものは「責めを負うもの」を意味していたが、ラテン語(causa)へと翻訳されるに伴い、作用因(causa efficiens)の観念へと転じてしまったと言う。
 この主張がデリダの注意を引くのは、アリストテレスが問題の箇所で作用因(始動因)についても明確に語っているからにほかならない。なぜハイデガーはこのような奇妙な主張をしているのだろうか。
 デリダ自身はこの問いを開いたままにしているが、我々は、後期シェリングのアリストテレス読解へと迂回することで、この問いに答える一つの道を提示することを試みる。
 シェリングは『啓示の哲学』序論において、アリストテレス『形而上学』に登場する「不動の動者」は「愛される者」すなわち目的因であり作用因ではないとした上で、アリストテレスの神論をキリスト教へと接合させようとした中世哲学の苦難について語っている。実際、トマス・アクィナス『神学大全』における神の存在論証においては、アリストテレスの神の存在証明と似て非なる論証が、作用因からなる因果系列を用いて展開されている。このような哲学史観を背景とするなら、上述のハイデガーの議論が意味をなしてくる。
 ハイデガーは、アイティオンからカウサへの意味の転化を、テクネーという語の意味の転化と連動的に論じている。というのも、テクネーの語もまた、真理への通路の意から、目的のための手段、或る結果を引き起こすための作用因の意へと転じるからである。
 本発表では、まずアリストテレス、トマス・アクィナスの論証を振り返った後、シェリングによるアリストテレス読解を吟味し、以上を背景として、ハイデガーの論じる技術と形而上学(存在神学)との結びつきを、デリダの視点も踏まえつつ明らかにしたい。

10:40-11:20
新井 雅貴(同志社大学大学院博士課程)
「イザヤ書 14 章における死者崇拝批判 :19 節のמקברך השלכת の解釈を中心に」

司会:岩嵜 大悟(古代オリエント博物館)

 イザヤ書 14:9 に現れる「レファイーム(רפאים「(とは、神格化された王家の祖先を指すウガリト語、「ラパウマ(rapaʾūma)」を念頭においたヘブライ語である。昨年度の発表では、この詩文が、神格化にかかわるこのヘブライ語にあえて言及し、それを神と対比させることによって、死者がもつ力を凌駕する神の強さを描こうとした点を指摘した。本年度はここに崇拝の場としての墓という観点を加え、イザヤ書 14 章 4b–21節に焦点をあてて、古代オリエント世界では一般的であった死者崇拝がどのような手法で批判されているか考察を深める。
 18 節は、王家の死者が本来、墓に丁重に埋葬されることを説明し、19 節は、この詩文で批判されている王だけがその例外であることを主張している。19 節のמקברך השלכת は、前置詞מןの解釈によって、①移動の起点「〜から」→墓から掘り出される、②非接近「〜から離れて」→埋葬されずに墓の外に遺棄される、③否定辞「〜なしで」→墓が作られずに遺棄される、という 3 つの意味で理解されてきた。本研究はここに、④理由「〜のゆえに」の可能性を提示したい。
 王の埋葬の否定においては、その王が神の言葉に従わず、神に反抗したという、神に対する王の罪が批判される(エレミヤ書 22:17–19、列王記上 14:13)。13–14 節は、この王が神のようになろうと画策していたことを述べている。死者崇拝とは、死者の神格化であり、それは YHWH 崇拝に対立する行為とみなされた。つまり、神格化された死者は YHWH に対立する存在である。これらをふまえると、この王の埋葬の否定の背景には、自らが崇拝される場として墓を用意したことが示唆される。
 このように、この詩文は、古代オリエント世界で死者が神格化されていた点を認め、それを YHWH に敵対する罪であると主張することによって、崇拝の場としての墓の重要性を否定しようとしたと結論づけられる。

11:20-12:00
田中 直美(福山市立大学)
「不在のものとの関係による共同体の変革 ―F. ローゼンツヴァイクの翻訳論におけるユダヤ人とドイツ人の対話の試み」
司会:堀川 敏寛(東洋英和女学院大学)

 本発表では F. ローゼンツヴァイク(Franz Rosenzweig, 1886-1929)の聖書翻訳についての考察を手がかりに、同化が進む当時のドイツ社会において彼がユダヤ人とドイツ人の対話をどのように実現しようと試みていたのかを明らかにする。
 聖書の翻訳作業は 1925 年に M. ブーバーがカトリック系出版社ランベルト・シュナイダーから新たなドイツ語訳を依頼された際に、ローゼンツヴァイクとの共訳を条件に引き受けたことで開始された。彼らは(1)ドイツの同化ユダヤ人、(2)新約に対する旧約として聖書を理解してきたキリスト教徒、(3)もはや聖書の言葉に向かって自分の生を向けずにそれを読んでいる今日の人々の三者を読者の対象として考えていた(堀川敏寛『聖書翻訳者ブーバー』新教出版社、2018 年, 一一一)。それゆえ、堀川によれば彼らの翻訳聖書は「実定的宗教の信者に限定されるものではない」。というのも、「ブーバーの考える宗教性のなかにある「汝の語りかけ」を、世間一般の人たちに受け入れてもらいたいという願いが彼らにあった」からである(堀川, 一一一)。
 だが、彼らが聖書翻訳で目指したのは民族や宗教を問わず全人類に「汝の語りかけ」を響かせることだけだったのだろうか。特に自由ユダヤ学舎での教育実践や 1927 年の時点で みずからが「『救済の星』(1921)からは総じて隔たってはいない」(GSⅠ-2, 1169)と述べている『救済の星』におけるユダヤ民族の特殊性を考慮すれば、少なくともローゼンツヴァイクの翻訳の試みにおいては、共同体としてのユダヤ民族の変革も目指されていたのではないだろうか。
 したがって、本発表では次の 3 点を検討することによってローゼンツヴァイクがユダヤ民族の共同体の形成と、ユダヤ人とドイツ人の対話をどのように考えていたのかを明らかにしたい。(1)『救済の星』におけるユダヤ民族の特殊性。(2) 「聖書とルター」(1926) で述べられる「翻訳することは、二人の主人に仕えること」(GSⅢ, 749/三五三)という事態と「言語はただ〈ひとつ〉しかない」(GSⅢ, 769/三八七)という事態はいかに結びついているのか。(3) また、「語ることはすべて翻訳すること」(GSⅢ, 749,771/三五四、三九二)と述べられるが、実際の対話の場面での語りと原典を他言語へと変容させる翻訳はどのように関係しているのか。


公開シンポジウム

「文法、カバラー、詩―ヨーロッパ・ルネサンス期の言語思想とユダヤ」

13:00-13:05 趣旨説明 伊藤 玄吾(同志社大学)

13:05-13:55 基調講演 手島 勲矢(京都ユダヤ思想学会会長)
 「ヘブライ語文法とユダヤ神秘主義: ユダヤ思想史から考える両者の関係」

(13:55-14:10 休憩)

14:10-14:40 発題① 根占 献一(星槎大学)
 「フィチーノとジョヴァンニ・ピーコ ―ロレンツォ・イル・マニフィコ時代のヘブライ思想」

14:40-15:10 発題② 久保田 静香(日本女子大学)
 「ペトルス・ラムスの「方法」と文法改革:16-17 世紀に普及したヘブライ語文法書との関連において」

15:10-15:40 発題③ 伊藤 玄吾(同志社大学)
 「ヘブライ語とルネサンス詩学 ―Tehillim と Psalmi」

(15:40-15:55 休憩)

15:55-16:45 質疑応答

【シンポジウム】
「文法、カバラー、詩 ―ヨーロッパ・ルネサンス期の言語思想とユダヤ」
〜古のことばの深みへと迫る若き情熱の時代を読み解く〜

伊藤 玄吾 《シンポジウム企画担当》
15 世紀後半以降の西欧世界において、ヘブライ語やアラム語学習が非ユダヤ教知識層の間にも広がり、ユダヤ教関連の多様な文献が原語のままに読まれる機会も増えていった。それまでギリシア語・ラテン語という古典語を中心に言語について思考していた西欧の学者たちは、ヘブライ語という異質な言語と正面から向き合うことを通して旧来の言語概念の再考を迫られるようになった。この新たな問題意識は、当時の思想界における重要な課題であった神秘主義、古典語と各地域の俗語の優越をめぐる論争、さらには詩的言語についての議論などとも密接に結びついてルネサンス期の思想・文化の動向に大きな刺激を与え続けた。今回のシンポジウムでは、ヘブライ語研究およびユダヤ教関連文献の広がりがルネサンス期の西欧の思想にもたらした様々な地殻変動を、文法・カバラー・詩という視点から捉えてみたい。はじめに、京都ユダヤ思想学会の手島勲矢会長による基調講演において、ユダヤ教の文脈における言語研究と神秘主義の緊密な関係性を古代から近代初期まで辿り、主要な問題群とその思想史上の意義を明らかにする。さらにそうした問題群が、ルネサンス期ヨーロッパ特有の文脈においてどのような熱狂もしくは抵抗を惹き起こし、新たな知の醸成へと向かうのかを、主としてイタリアとフランスを専門とする3名の研究者が論じていく。最初に、15 世紀後半から16 世紀にかけてのヨーロッパ思想界のヘブライズムを考える上で重要な鍵となるフィチーノとピーコ・デッラ・ミランドラについて、イタリア・ルネサンス思想研究を専門とする根占献一氏(星槎大学)が、次に 16 世紀中期以降 17 世紀に至る学問改革の大きな起点となったフランスのペトルス・ラムスとその影響下に編まれたマルティニウスのヘブライ語文法について、フランス16・17 世紀思想研究を専門とする久保田静香氏(日本女子大学)が、さらにヘブライ語をめぐる言語的考察の進展が詩的言語の理解をいかに深め、聖書解釈のみならず各国語への翻訳・翻案の実践においてどのような影響を及ぼしていったかについてフランス・ルネサンス文学研究を専門とする伊藤玄吾(同志社大学)が論じる。


基調講演 「ヘブライ語文法とユダヤ神秘主義: ユダヤ思想史から考える両者の関係」
手島 勲矢(京都ユダヤ思想学会 会長)

15 世紀フマニスト(ピコ、ロイヒリン)がヘブライ語に強い興味をもっていたことは良く知られているが、彼らのヘブライ語学習への動機の一つにユダヤ神秘主義(ゾハルなど)文献を読むことにあったという時、その後の 16 世紀の宗教改革期のクリスチャン・ヘブライストたちの文法ニーズとは幾分異なるという印象を持つ。本講演は、ユダヤ思想史の中で「カバラー קבלה」「ディクドゥーク דקדוק「と呼ばれる神秘主義と文法の概念が結びつく文献の事例サンプルを、ユダヤの古代・中世・近世の著作より集め、ヘブライ語文法とユダヤ神秘主義の関係について考察・議論する。
 G・ショーレムによれば、ユダヤ神秘主義の伝統は、神からの直接啓示を受ける預言者の時代が終わり、聖典タナッハ(ヘブライ語聖書)の解釈を引き受ける賢者の存在が前提にあるという。その点で、近代人が神秘主義と名づける内容をユダヤ神秘主義者たちが「カバラー」と呼んだ事実は興味深い。なぜならカバラー(伝承)という呼称は、マソラ学者(アハロン・ベン・アシェルたち)にとって、タナッハ(律法、預言者、諸書)中の「預言者」の部を意味するものであり、またアブラハム・イブン・エズラ(12 世紀文法学者)もトーラー解釈に不可欠なものがマソラ学者の伝統であると同時に、その伝統には神秘主義者の伝承も含まれることを暗示する。
 ユダヤ神秘主義者はトーラー解釈の困難箇所を「秘密 סוד「または「不思議 רז「と呼ぶが、この伝統はダニエルが不思議な夢や文字を解読して予知能力を示した記事にも通じるものであり、フィロン・ヨセフスも古代のエッセネ派(またはテラペウタイ)が聖典テキストの瞑想を通じて預言・予知を追求していたと記録している。また古代ユダヤ教のヨベル書、中世のクザリの伝承においても、ヘブライ語は神の言語(神とアダムが語り合った言語)の伝統を受け継いでいるものと信じられ、父祖アブラハムはヘブライ語(エベルの言語)を天使から、またはエベルから直々に学んだと信じられている。
 具体的には「預言」「文法」「詩文」をキーワードにして、古代はフィロン・ヨセフス、ゲオニーム時代は『セフェル・イェツィラー』また『ディクドゥケイ・テアミーム』、中世はイブン・エズラ、マイモニデス、ユダ・ハレヴィまたアルハリージの著作から関連箇所を集め、ユダヤ神秘主義とヘブライ語文法の関係の痕跡の分析を試みたい。特に、入り口としして 16 世紀イタリアのアザリヤ・デ・ロッシが述べる「文字は身体、母音記号は魂」の思想は −17 世紀のスピノザ文法にも出てくる− 神秘主義の聖典『セフェル・ハゾハル』『セフェル・ハバヒール』にも確認できるモチーフでもある。本講演では、聖書ヘブライ語の文法学者が依拠するティベリア式の母音記号またマソラ学者の文字数への拘りは、単なる写字生的な聖書原典の保護努力というだけでなく、預言を求める古代の神秘主義にもルーツがあるのでは?という可能性の、初学的議論を始めてみたい。


発題① 「フィチーノとジョヴァンニ・ピーコ ―ロレンツォ・イル・マニフィコ時代のヘブライ思想」
根占 献一(星槎大学 講師)

 中世文化と対比してルネサンス文化を見れば、イタリア・ルネサンスの人文主義とラテン的伝統との深化は発展的なものとして、また同人文主義とギリシア的伝統との強化は特徴的なものとして捉えられてきた。前者に関しては、ラテン的中世に知られていなかった古代文献の数々が指摘できるであろうし、知られていたとしてもより完全な形で認識できるようになったということがあるであろう。後者に関しては、プラトンとプラトン主義が盛んな思想として 15世紀に現れるし、アリストテレス注釈や新たなアリストテレス『詩学』がもたらした文化が近代に大きな影響を及ぼすことになる。
 これら両伝統に較べれば、ヘブライ思想とイタリア・ルネサンスとの関係は十分に注目されてきたとは言い難い。特に「異教」の地日本ではそのように映ずる。芸術を中心とするルネサンスに高い関心が払われる割には、哲学や宗教思想の分野、特にヘブライ思想になると、一般的にはまだまだ未知のままに留まっている観がある。
 この方面になれば、先ずはジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463‐1494)の名が浮かぶ。「人間の尊厳についての演説」で知られる哲学者である。この演説は私が知る限り、三様の異なる和訳があり、日本でも相当の関心が払われてきた。また、その尊厳論の内容はルネサンス思想の精髄と、ヤーコプ・ブルクハルトの書き著した古典、『イタリア・ルネサンスの文化』以来、好んで引用され、強調されてきた。他方で、専門家の間では、当時のユダヤの知識人との深い交流により、ピーコは特異なキリスト教的カバラ主義者であり、カバラ思想の先駆的な理解者であると受け止められてきた。イタリアでは変わらず関心の高い哲学者であり、同時代人の医者ピエル・レオーネ・ダ・スポレートとの関係が近年話題になり、新たな理解が進んでいる。
 これに対して、マルシリオ・フィチーノ(1433‐1499)はプラトン主義者として知られ、近年、特に英語圏では研究対象のブームとなり、研究書も数多く現われた。特に、米国ルネサンス学会では毎年、フィチーノに関する発表が大々的に行われて、彼の人気のほどを示している。そのような状況下ではあるが、彼とヘブライ思想との関係に主たる関心が向かうことは少なかったし、同一圏内にいた彼とピーコの思想的相違がこうして指摘されることもあった。確かにこの点に差異はあるものの、フィチーノの『キリスト教論』などの典拠上の読みが深まり、プラトン主義者に窺われるヘブライ的伝統にも注目が集まり始めている。この機に、幾らかなりともフィチーノ認識が改まるようにしたい。
 本発表は以上のように予備的かつ概略的ではあるが、特に 15 世紀後半、フィレンツェのロレンツォ・デ・メディチ時代におけるヘブライ思想の局面を示すことにより、ルネサンス文化が一段と豊穣に映じたら、と願う次第である。


発題② 「ペトルス・ラムスの「方法」と文法改革: 16-17 世紀に普及したヘブライ語文法書との関連において」
久保田 静香(日本女子大学 准教授)

 16 世紀フランスの人文主義者ペトルス・ラムス(Petrus Ramus, 1515-1572)は、過激な反アリストテレス主義の立場から、中世以来の自由学芸科目、なかでも三科(trivium : grammatica, rhetorica, dialectica)の改革にとりくんだ人物として知られる。そこで本発表ではまず、ラムスの学芸改革において「文法学」と「弁証術(=論理学)」が近接する学として捉えられていること、そして、「弁証術」と「修辞学」の体系の組み直しが、アリストテレス以来の弁論術(古典レトリック)のフレームに準拠しているさまを整理する。そしてこの学芸改革を敢行するにあたって前面に打ち出された「方法(methodus)」および「自然・本性(natura)」重視の思想とはいかなるものであるかを、ラムスのテクストのなかに探る。
 ラムスの学芸改革は、1555 年に「弁証術」と「修辞学」が一定の完成をみたのちに、「文法学」の整備へと向かう。1559 年に刊行された『ラテン語文法全四巻(Grammaticae libri quatuor)』をベースに、翌 1560年には早くも『ギリシア語文法(Grammatica graeca)』 が編まれ、この二大古典語の文法体系の骨格を利用して、1562 年および 1572 年に『フランス語文法(Gramere / Grammaire)』が上梓される。これらの文法書はいずれも「語形論(etymologia)」と「統辞論(syntaxis)」の二本柱から成っているという特徴がある。この二部構成をそのまま敷き写しにしたかのようにして、16 世紀後半にラムス主義思想の信奉者ペトルス・マルティニウス(Petrus Martinius, ca. 1530-1594)によって『ヘブライ語文法(Grammaticae hebraeae, 1567)が世に問われた。このマルティニウスの文法書はその後 17 世紀初めにかけて、オランダをはじめとするプロテスタント諸国で好評を博すこととなる。なおラムス自身、晩年に本格的な聖書研究にとりくむためにヘブライ語の学習にとりかかっていたことが知られている。以上の事例と考察をつうじ、16-17 世紀のヨーロッパにおけるヘブライ語文法書の普及にラムス主義思想が関与していたことの理由の一端に迫ることを目指す。


発題③ 「ヘブライ語とルネサンス詩学 −Tehillim と Psalmi」
伊藤 玄吾(同志社大学 グローバル地域文化学部 准教授)

 西洋ルネサンス期において、詩は狭い意味での文芸世界にとどまらず、学問や宗教はもちろんのこと、政治とも深く関わるものであり、公共的かつ実践的な性格を持つものでもあった。またそれゆえに、詩の言語とはいかなるものであり、神と個としての人間と共同体をどのように結びつけるものなのかといった考察は、旧秩序の揺らぎを経験しつつあったこの時代特有の緊張感の中で進められた。
 ルネサンス期の詩的言語をめぐる議論において特筆すべきことは、古代ギリシア・ラテン語世界における詩的言語の考察の伝統と、アラビア語世界との関わりの中で形成されてきた中世ユダヤ世界の詩的言語の考察の伝統が出会っただけでなく、さらにはそれらがヨーロッパの諸国語(諸地域語)による詩作の運動とも結びついて、理論と実践が結びつく形で考察が深められていったことである。とりわけイタリアの地においては、ユダヤ教徒の学者・詩人においても、キリスト教徒の学者・詩人においてもこの 3 つの流れを踏まえて詩を論じることがなされ始めた。そこで重要なのは、詩的言語の考察が、ヘブライ語という言語と文字の特異性をめぐる文法学者たちの議論そして聖書解釈の方法をめぐる議論と密接に結びついて展開していることであり、さらには、この時代に本格的に始まる聖書の各国語への翻訳・翻案という実践的な課題とも結びついて展開している点である。本発表では、ユダヤ教において Tehillim、キリスト教の文脈において Psalmi の名で呼ばれてきた「詩篇」テクストの詩的性格の理解をめぐって 16 世紀のイタリアおよびフランスで展開された主要な議論を辿ってみたい。




2022年1月23日日曜日

『京都ユダヤ思想』第12号(2021年)

 『京都ユダヤ思想』
第12号(2021年)

目次

【巻頭言】
市川裕「ユダヤ人の歴史を貫くもの」(1-13頁)

【論文】
菅野賢治「「上海無国籍避難民指定居住区」設置の反響ー實吉敏郎・海軍大佐の未発表文書をもとに―」(14-43頁)

第13回学術大会シンポジウム
中世ユダヤ教聖書解釈の諸相ーキリスト教世界とその周辺ー

【提題】
志田雅宏「聖書解釈の広がりと深み―中世キリスト教文化との対話のなかで―」(44-74頁)

勝又直也「ピユートにおける聖書解釈ーキリスト教世界との関わりー」(75-105頁)

加藤哲平「迷える者たちの翻訳者ー中世ユダヤ教におけるヒエロニュムスとウルガータ聖書ー」(106-131頁)

手島勲矢「マソラー再評価をめぐる16-17世紀の新展開—「ラビ聖書」以前と以後ー」(132-160頁)

李美奈「レオネ・モデナ『盾と剣』と宗教改革の時代」(161-184頁)

2021年6月2日水曜日

京都ユダヤ思想学会2021年度公開シンポジウム「誰が「ユダヤ人」とされてきたか ―自意識と他者のまなざしから―」

 京都ユダヤ思想学会2021年度公開シンポジウム

「誰が「ユダヤ人」とされてきたか ―自意識と他者のまなざしから―」

日時:2021年6月19日(土)13:00-17:00
zoomによるオンライン開催(無料・要事前予約)

大澤 耕史《シンポジウム企画担当/司会》

本学会は名称に「ユダヤ」を掲げ、思想のみならず様々な「ユダヤ的」なものを対象とした研究を推進してきました。しかしこれまでに、学会として正面から「ユダヤ」とは何かという問いを発したことはなかったように思います。もちろん、このある意味で大きすぎる問いに対しては、古来より様々な立場や角度から無数の答えが出されてきました。それらを簡単にさらうだけでも大変な作業であり、半日のシンポジウムで終わるほどの量でもありません。そこで本シンポジウムでは、それ以降の時代の議論の立脚点になるような、古代世界に焦点を絞り分析を進めていこうと思います。その中でも「ユダヤ人」自身の定義や意識のみならず、他者から見た自分たちと「ユダヤ人」との境界およびその周縁部にも着目し、導入的な発表に続いて津田謙治氏、櫻井丈氏、山城貢司氏にそれぞれのご専門の見地からご発表をいただきます。

スケジュール

13:00-13:30
趣旨説明と議論の導入「ヘブライ語聖書~第二神殿時代における「ユダヤ人」」
大澤 耕史(中京大学教養教育研究院助教)

本シンポジウムの導入として、ヘブライ語聖書から第二神殿時代までの「ユダヤ人」描写を抽出して分析を行う。現在のような、居住地に因らない集団を指す「ユダヤ人(יהודי)」という名称が比較的新しいもので、ヘブライ語聖書の時代から広く用いられていたわけではないという点はそれなりに知られていると思われる。そこで本報告ではまず、ヘブライ語聖書から「ユダヤ人」のみならず「ヘブライ人(עברי)」や「イスラエル(ישראל)」といった名称を抽出し、それらの意味の違いやそれぞれの使用法などを考察する。続いて、聖書の外典偽典や第二神殿時代のユダヤ人著作家たちの作品内で「ユダヤ人」がどう定義・表記されているかを概観し、ヘブライ語聖書における用法との違いや変遷を分析する。それらの作業によって、現代のユダヤ人について考える際にも参考となるような、「ユダヤ人」理解のための土台を築きたい。

13:30-14:10
発題①「二、三世紀の教父文献に見られる「ユダヤ人」像:同一の神と相違する信仰」
津田 謙治(京都大学大学院文学研究科准教授)

この発表では、ユスティノス『ユダヤ人トリュフォンとの対話』やテルトゥリアヌス『ユダヤ人反駁』などを含む、二世紀半ばから三世紀前半にかけて著された複数の教父文献における、聖書、律法、そして救済者などに関わる議論を手掛かりとして、教父たちの描き出す「ユダヤ人」像を分析する。正典化された文書を未だもたないキリスト教徒が、独自の信仰と教理を確立しようと模索するにあたって、近接領域において共同体をもつ「ユダヤ人」とどのように対峙し、彼らとの相違点をどのように明確化しようと試みたかに焦点を当てたい。

14:10-14:50
発題② 「「新生児」としての改宗者:バビロニア・タルムードにみる民族的出自擬制としてのラビ・ユダヤ教改宗法規再考」
櫻井 丈(帝京科学大学教育人間科学部講師)

本発表では、第一に、バビロニア・タルムードにおいて体系化された「改宗者は新生児として見なされる」(גר שנתגייר כקטן שנולד דמי)という法概念についての考察に焦点を当て、ラビ・ユダヤ教における改宗法規(גיור)とは「異邦人」の民族的出自を「ユダヤ人」のそれへと擬制する法的装置であることを実証する。第二に、同タルムードにおける改宗に関わる法的議論から、ラビ・ユダヤ教が想起するユダヤ民族のアイデンティティの構造とその特徴を露わにすることによって、同民族共同体の民族性を規定する境界線は歴史的、社会的情勢の変化の要請によって常に変化し、又再構築されることを明らかにする。こうした一連の考察から古代後期におけるラビ・ユダヤ教の規定するユダヤ民族性とは流動的且つ可変的な文化的構築物であることを提起したい。

14:50-15:30
発題③「諸種属・異邦人・セクト主義者:古代ユダヤ教におけるminim概念の再考に向けて」
山城 貢司(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員)

セクト主義者を意味する一連のヘブライ語語彙の中でも、minimは一種独特の響きを帯びている。ヘブライ語聖書中の使用例からも明らかなように、minの原義は「種・属」であり、したがって同語の複数形であるminimをあえて直訳すると「諸種属」となるだろう。では、セクト主義者を指示する隠語としてのminimの用法は一体いつどのようにして始まったのか?その淵源は何か?そしてそれはいかなる歴史的=神学的背景を前提としているのか?本発表は、minimの意味論的分析を通じて、これらの問いに答えようとする試みである。

15:30-15:40
休憩

15:40-17:00
質疑応答

■大会参加にあたって
オンライン開催(zoom)のため、事前申し込みが必要となります。
詳細は京都ユダヤ思想学会のウェブサイトにてご確認ください。
https://sites.google.com/site/kyotojewish/



2021年4月3日土曜日

『京都ユダヤ思想』第11号(2020年)

 『京都ユダヤ思想』

第11号(2020年) 目次

【巻頭言】
手島勲矢「というよりも文字の背中(ポストスクリプト)を追いかけて―カタストロフ雑考」(pp. 1-11)

【論文】
菅野賢治「「上海無国籍避難民指定居住区」の設置過程―實吉敏郎・海軍大佐の未発表文書をもとに―」(pp. 12-39)
神田愛子「マイモニデスにおける人間の自由意志と神の摂理について」(pp. 40-60)

【第12回学術大会シンポジウム タルグムの世界—聖書翻訳とユダヤの伝統―】
加藤哲平〈シンポジウム趣旨〉(pp. 61-63)
勝又悦子〈基調講演〉「金の子牛像事件の解釈から見るタルグム文学の特性」(pp. 64-105)
阿部望〈コメント1〉「タルグムと死海文書」(pp. 106-121)
飯郷友康〈コメント2〉「魔王と偽王あるいは伝道師―タルグム試論―」(pp. 122-139)
大澤耕史〈コメント3〉「「ヨセフは誰に売られたか?」をタルグムから考える」(pp. 140-152)

2020年8月9日日曜日

京都ユダヤ思想学会第13回学術大会公開シンポジウム「中世ユダヤ教聖書解釈の諸相」

京都ユダヤ思想学会第13回学術大会(オンライン)

公開シンポジウム

「中世ユダヤ教聖書解釈の諸相 —キリスト教世界とその周辺—」

今年のシンポジウムでは、キリスト教世界の文化と対峙する中世ユダヤ教におけるさまざまな聖書解釈の営みに注目し、五名の登壇者による提題をおこない、みなさまとともに議論を進めていきたいと考えております。聖書学習や宗教論争、典礼詩やユダヤ教思想など、その聖書解釈の機会は多岐にわたり、そのつど聖書の言葉はユダヤ教世界に新たな息吹をもたらしてきました。シンポジウムでは大澤耕史会員による司会のもと、手島勲矢会員、加藤哲平会員、志田に加えて、勝又直也氏(京都大学)と李美奈氏(東京大学大学院)をお招きし、それぞれの専門分野から五つの提題をおこないます。その後、参加者のみなさまとの全体討議によって論点を明らかにし、彩り豊かなユダヤ教聖書解釈の諸相をともに描いていきたいと思っております。ご参加をお待ちしております。       

日時:2020年9月13日(日)

会場:オンライン(Zoom)

参加方法:学会ホームページあるいはポスターを参照のこと

学会ホームページはこちら

■大会プログラム 

9:15 Zoom受付開始

【個人研究発表】 (9:30−11:30)

9:30-10:10 研究発表① 司会:平岡 光太郎(同志社大学嘱託講師)

発表者:菅野 賢治(東京理科大学教授) 

 「上海無国籍避難民指定居住区の運営実態―實吉敏郎海軍大佐の未発表文書をもとに―」

10:10-10:50  研究発表② 司会:渡名喜 庸哲(立教大学准教授)

発表者:吉野 斉志(京都大学非常勤研究員)  

「パトナムとベルクソンの時間論 ―相対性理論をめぐって―」

10:50-11:30  研究発表③ 司会:後藤 正英(佐賀大学准教授)

発表者:福山 弘泰(京都ユダヤ思想学会会員)

「ラヴ・アブラハム・イツハク・ハ=コーヘン・クック研究における『八文集』(שמונה קבצים)の意義について」

 11:30−13:00   休憩


【シンポジウム】 13:00-17:00

「中世ユダヤ教聖書解釈の諸相:キリスト教世界とその周辺」

 司会:大澤耕史(中京大学助教)


13:00−15:30  提題   

 提題① 志田雅宏(東京大学講師)

「聖書解釈の広がりと深み ——中世キリスト教文化との対話のなかで——」           

 本報告では、中世キリスト教世界におけるユダヤ人のさまざまな聖書解釈の営みを取り上げる。ユダヤ人とキリスト教徒は、ときに聖書の正しい意味をめぐってキリスト教徒たちと論争をおこない、ときに聖書の「ヘブライ的真理」(Hebraica Veritas)を求める知的探究のなかでともに聖書テクストを学んだ。また、聖書に描かれた族長たちの物語や預言は、ユダヤ人にとって、ときにキリスト教世界の起源や運命についてほのめかすものであり、ときに彼ら自身が体験した迫害や暴力を乗り越えていくための慰めを与えるものでもあった。また、キリスト教世界のユダヤ知識人や思想家たちは、聖書テクストの深みへと潜っていき、カバラーや哲学の思索を存分に展開した。そうした思想は、聖書の言葉に新たな光を当てるだけでなく、ユダヤ教の日常的な宗教実践のひとつひとつに生き生きとした風を吹き込むものでもあった。
 本報告の目的は、キリスト教世界のユダヤ教聖書解釈というテーマの導入として、全体の枠組みとなるものを提供することである。キリスト教徒たちの社会において、ユダヤ人は「共生と対抗」という生のあり方を自分たちに課した。ラビ・ユダヤ教の教典タルムードにはしばしば強烈な反キリスト教的言説がみられるが、中世のユダヤ人法学者たちはそれを同時代の現実に合わせて解釈しなおし、共生の道を切り拓いた。その一方で、民衆による暴動や宗教論争に巻き込まれたときには、ユダヤ人はキリスト教文化への対抗によって、自分たちのアイデンティティと生命を守らなければならなかった。この「共生と対抗」という生のなかで、聖書を読むという営みもまた、きわめて大きな意義を持ったのである。
 報告では、中世キリスト教世界のさまざまなユダヤ人学者・思想家たち——ラシやヤコブ・ベン・ルーベン、ナフマニデス、ハスダイ・クレスカスらとなるであろう——のテクストを手がかりに、彼らの聖書解釈の営みにみられるキリスト教文化との対話の作法を明らかにしていきたい。


提題② 勝又直也(京都大学准教授)

「ピユートにおける聖書解釈」

 ピユートとは、安息日や祭日におけるシナゴーグでの礼拝の際に詠まれるヘブライ語の典礼詩であり、古代末期から中世にかけて、中東やヨーロッパのユダヤ共同体において、パイタンと呼ばれる典礼詩人らによって盛んに創作されてきた文学ジャンルである。イェシヴァーでのタルムードの学びを中心とするラビ・ユダヤ教の伝統では、シナゴーグにやってくる大衆に向けて詠われたピユートは、必ずしも権威のある文学ジャンルとはみなされていなかった(ピユート、パイタンという言葉自体が、ポイエテースというギリシャ語からの借用語であることから、ラビの側からの蔑称である可能性もある)。しかし、19世紀末のカイロ・ゲニザ文書の発見からもわかるように、当時のユダヤ共同体においては、いわゆるラビ文献の範疇にとどまらない、柔軟で活発な創作活動が数多く行われており、ピユートはその重要な構成要素であったのだ。
 ピユートは、アミダーやクリヤット・シェマといった、ユダヤ教における義務の祈りの枠組みの中で謡われることから、扱わなければならない内容があらかじめ決められている。例えば、クリヤット・シェマの祈りの中で謡われたヨツェルというジャンルの詩の第二ピユートでは、天使について言及しなければならない。それと同時に、パイタンは、そのピユートが詠われる日の特殊性も詩の中に入れようとした。それは他でもない、毎週の安息日や祭日において朗読されるトーラー(モーセ五書)やハフタラー(預言書など)の箇所である。古代末期のパレスチナでは、トーラーをセデルと呼ばれる部分に細かく分け、3年半ほどで読み終えたが、後にはバビロニアの伝統が支配的になり、トーラーをパラシャーと呼ばれるより大きな部分に分け、一年間で読み終えた。例えば、アミダーの祈りの中で謡われたクドゥシュタというジャンルの詩においては、第一ピユートと第二ピユートでその週のパラシャーが、第三ピユートでその週のハフタラーが引用されている。
 このように、ピユートとは、1)祈りの枠組みで要求される内容と、2)トーラーやハフタラー朗読の内容とを大胆に融合させる試みであり、一般のユダヤ人に向けて毎週提供された、新鮮で大衆的な(時に娯楽としての)聖書解釈という側面がある。さらに、時代や場所に応じて、3)ビザンツ、イスラーム、キリスト教といったマジョリティ文化の影響も垣間見ることもできる。本報告では、ゲニザ写本の解読に基づいたテキストを具体例として用いながら、1)~3)のダイナミックな関係性について紹介したい。


提題③ 加藤哲平(日本学術振興会特別研究員)

「迷える者たちの翻訳者 ——中世ユダヤ教聖書解釈におけるヒエロニュムス——」

 中世のユダヤ教聖書解釈者たちがキリスト教徒と宗教論争をするに際し、切り崩すべき牙城は「ウルガータ聖書」に他ならなかった。ウルガータ聖書とは、古代末期のラテン教父ヒエロニュムスによる翻訳を基礎として成立したキリスト教会のラテン語訳聖書のことである。アドリア海近くで生まれ、長じてはローマに遊んだヒエロニュムスは、回心体験を経て東方諸国を遍歴したあと、遂にはベツレヘムで聖書研究に挺身し、膨大な聖書注解書をものす傍ら、古ラテン語訳福音書の改訂とヘブライ語原典に基づく旧約聖書の翻訳を完成させた。ヒエロニュムスの死後、「普及版(ウルガータ・エディツィオ)」と呼ばれるようになったこの翻訳聖書は、中世を通じてキリスト教会の聖典として大きな権威を持つようになった。こうした権威に基づき、中世のキリスト教徒たちは聖書に関してユダヤ教徒と論争する場合、このラテン語訳聖書の記述をしばしば引き合いに出した。これに対しユダヤ側は、その翻訳を吟味して誤りを指摘することで、論争相手に対するこの上なく強力な反論材料を見出そうとしたのだった。本発表では、ウルガータ聖書やヒエロニュムスに言及している中世のユダヤ教聖書解釈者たちを取り上げ、彼の翻訳や解釈をどのように論争に利用したかを検証する。具体的には、ラシュバム、アブラハム・イブン・エズラ、ダヴィッド・キムヒ、ナフマニデス、著者未詳の『セフェル・ニツァホン・ヤシャン』、ヨセフ・アルボ、イツハク・アバルバネル、エリアス・レヴィタ、アザリヤ・デイ・ロッシ、トロキのイツハク・ベン・アブラハムらの著作を扱う。彼らは、一方では、ヒエロニュムスをキリスト教の代表者、すなわち「迷える者たちの翻訳者」と呼んで蔑み、その翻訳や解釈の誤りを取り上げて激しく攻撃した。しかし他方では、彼のユダヤ教聖書解釈への造詣の深さを称えつつ、彼をあたかもユダヤ教の代表者であるかのように見なすことで、むしろその主張に耳を貸そうとしない他のキリスト者たちを批判することもあった。発表の中では、フィロンやアウグスティヌスなど、ヒエロニュムス以外のギリシア・ラテン世界の聖書研究に関する釈義家たちの言及についても紹介したい。


提題④ 手島勲矢(関西大学非常勤講師)

「マソラー再評価をめぐる16-17世紀の聖書理解の新展開」

 16世紀にはフマニスムスと宗教改革の二つの精神の顔がある。その二つの知的な潮流が17世紀に向けて一つの大きな流れ、とりわけ聖書解釈の意識変化となって、ルターの「聖書のみ」のスローガンを生み、それまでの社会や文化の価値観を根底から覆すことになるのだが、その世界観の変化は、キリスト教会内だけに限定されるものではなく、ユダヤ教社会にも影響が及んでいて、事実、『メオール・エイナイム』(1573年)の著者アザリア・デ・ロッシは教会の聖書(七十人訳)についてヘブライ語で同胞たちにも紹介するーその事実にユダヤ教徒とキリスト教徒の距離の近さは確認される。
 このような16世紀の聖書解釈の意識変化を後押ししたものの一つが、ダニエル・ボンベルグによるユダヤ・ヘブライ書籍の出版事業である。そのヴェネチアでなされた出版事業は、まさにフマニスムスと宗教改革の精神を両方合わせたような事業であり、とりわけヤコブ・ベン・ハイムのラビ聖書(1525年)は、マソラーの伝統の厚みを広くヨーロッパのキリスト教徒に知らしめる一方で、ユダヤ人読者も数字の章立てなど教会の聖書伝統をはじめて意識させられることになる。またエリヤ・レヴィータのヘブライ語文法及びマソラー入門書『マソレット・ハマソレット』(1538年)は、キリスト教徒が関心を持つユダヤ教の母音記号とアクセント記号のモーセ起源に対する考察も行っていて、それは、ある意味、ヘブライ語で書かれた初めてのマソラー批判の萌芽といえる。その後、アザリア・デ・ロッシは、そのレヴィータの見解に対して、ラビの聖書解釈とは一致しないマソラーのアクセント伝統の側面に注目して、歴史的な思考の反論を試みている。
 なぜこのようなマソラー批判がこの時期にユダヤ教側に生まれたのかの説明として、エリヤ・レヴィータ、アザリア・デ・ロッシ、またヤコブ・ベン・ハイム、いずれもユダヤ教徒とキリスト教徒の両方に共有されるべき、歴史知見を土台にした新しい聖書理解を模索していた点は注目に値する。三人が始めた歴史としてのマソラーの理解は、ある意味で、それまでのユダヤの解釈伝統への挑戦でもあって、したがって、それぞれの文脈の中で同胞からの厳しい批判にもさらされる。このような16世紀のユダヤ学者の聖書理解は、それ以前の理解と比べて何か違うのか?新しい印刷時代の聖書解釈のニューノーマルの輪郭を考えてみたい。


提題⑤ 李美奈(東京大学大学院博士課程)

「宗教改革とヴェネツィアのユダヤ人 ——レオネ・モデナの聖書解釈——」

 近世イタリアでは、宗教改革の波が押し寄せるなかで、伝統的なキリスト教の権威が激しく揺さぶられた。それと同時に、キリスト教徒の学者たちのあいだでユダヤ教への関心が高まり、ヘブライ語やヘブライ語聖書テクスト、ユダヤ教思想を学ぶヘブライストたちが現れた。彼らはユダヤ教のなかに、同時代のキリスト教から失われてしまった本来の教えが守られていると考えたのである。そして、こうしたキリスト教世界の変化は、同時代のイタリアにおけるユダヤ教の聖書解釈にも影響をおよぼした。本報告では、その重要な事例として、17世紀のヴェネツィアのラビ、レオネ・モデナによるキリスト教反駁書『盾と剣』(Magen ve-Herev)を取り上げてみたい。本作品において、モデナはキリスト教の諸教義の誤りを指摘すべく聖書解釈を展開するが、その方法は、ユダヤ教の伝統を引き継ぎつつも、同時代のキリスト教世界の知的関心を反映したものであった。
 モデナは主に、聖書を理性的に読むことを主張する。この場合の理性は科学的な思考というよりももっと素朴なもので、一般人にも想像が可能なことである。比喩的な解釈や難解な哲学的思考を通さずに理解できなければ信仰に誤りが生じるとする彼の主張は、聖職者を通した聖書理解ではなく直接一般信者が聖書を読み理解することを目指した宗教改革者たちの信念に通じるものがある。他方で、カバラーを通してキリスト教の真理を発見しようとするクリスチャン・ヘブライストらに反して、モデナ自身は神秘的な解釈も否定し、あくまで字義的な読み方にこだわる。カバラー支持者はゲマトリアなどを利用して聖書の本文からは隠れた「本来的な」解釈を引き出そうと試みたが、モデナの目には、その方法はラビ・ユダヤ教の伝統を脅かす危険性を孕むものと映ったからである。
 さらにモデナは、原罪や三位一体に反論する際に、パオロ・サルピやピエトロ・ガラティノらキリスト教神学者による論争を根拠として引用する。モデナは、ユダヤ教から本来の教えを引き出そうとするヘブライストらの動きに同調し、自ら積極的に関わっているように思われる。ただし、クリスチャン・ヘブライストが、ユダヤ教をキリスト教の原型として位置づけ、キリスト教の「本来の」姿をそこに見出そうとするのに対して、モデナはその「ユダヤ教的な」原型とその後のキリスト教のあいだの乖離を強調する。モデナはイエスの奇跡や言行を否定せず、むしろ福音書を熱心なユダヤ教指導者の記録と捉え、その記述がキリスト教教義と離れていることを示す。
 モデナがキリスト教への反論として聖書を読むとき、彼の念頭に置かれていたのは、同時代のキリスト教世界の改革者たちのユダヤ教観であった。改革者たちは、教会批判と結びつくかたちで、ユダヤ教をキリスト教の源泉として再評価し、二つの宗教を接近させることを試みた。モデナは彼らの知的関心に影響を受けつつも、むしろそこからキリスト教への批判を展開し、聖書解釈を通じて、ユダヤ教とキリスト教の間に新たな境界線を引く作業を行なったと言えよう。 


15:40-17:00   質疑応答

(シンポジウム企画担当:志田雅宏)


2019年5月30日木曜日

京都ユダヤ思想学会第12回学術大会(2019)

京都ユダヤ思想学会
2019年度第12回学術大会

日時: 2019年6月29日(土)
会場: 同志社大学(烏丸キャンパス)志高館SK118教室

大会プログラム
9:10 受付開始

【個人研究発表】9:40−12:20
9:40-10:20 研究発表①
 「人工知能と人間的思考 ―ゴーレムの現代的継承者はどこまで人間に近付けるか―」
発表者:吉野 斉志(京都大学非常勤研究員)
司会:小原 克博(同志社大学神学部)

10:20-11:00 研究発表②
「詩篇88編における多様な死者表現とその意義」
発表者:新井 雅貴(同志社大学神学研究科博士後期課程)
司会:岩嵜 大悟(古代オリエント博物館共同研究員) 

11:00-11:40 研究発表③
「上海無国籍避難民指定居住区(「上海ゲットー」)の設置過程―實吉敏郎海軍大佐の未発表文書をもとに―」
発表者:菅野 賢治(東京理科大学)
司会:向井 直己(京都大学特定研究員)

11:40−12:20 研究発表④
「マイモニデスにおける自由意志の概念」
発表者:神田 愛子(同志社大学神学研究科博士後期課程)
司会:志田 雅宏(早稲田大学招聘研究員)

12:20−13:30 昼食

【シンポジウム】
「タルグムの世界 ―聖書翻訳とユダヤの伝統―」
13:30−13:40 司会挨拶:加藤 哲平(日本学術振興会特別研究員PD)
13:40−14:40 基調講演:勝又 悦子(同志社大学)
(休憩:14:40-15:00)
15:00−16:00 コメント:阿部 望(獨協大学)、飯郷 友康(東京大学)、大澤 耕史(中京大学)   
16:00−17:00 質疑応答

17:10−18:00   総会
18:15−           懇親会



<シンポジウム趣旨>   加藤 哲平(日本学術振興会PD/シンポジウム企画担当)
 2017年には「新改訳2017」(新日本聖書刊行会)が、2018年には「聖書協会共同訳」(日本聖書協会)が刊行され、にわかに「聖書翻訳」への関心が高まっている。聖書というあまりにも人口に膾炙した宗教文学を、いかにして新しく翻訳することができるのか。これは困難かつチャレンジングな問いである。この問いに答えるために、たとえば「聖書協会共同訳」は、「スコポス理論」という新しい翻訳理論に基づいて翻訳するという方針を取った。つまり、意訳・逐語訳といった従来の二項対立にとらわれずに、読者対象と目的(=スコポス)に合わせた翻訳を作成することで、教会での礼拝にふさわしい聖書を目指したわけである。
 このように最新の翻訳理論を駆使するという方針は、もちろん有効である。しかしながら、聖書は古来よりさまざまな言語に翻訳されることで多くの読者を獲得してきた歴史がある。そうした伝統に目を向けることは、聖書翻訳に新たな視点を与えてくれるのではないだろうか。前3世紀にエルサレムから招聘された72人の長老たちがアレクサンドリアでわずか72日間でギリシア語に訳したとされる「七十人訳」、その七十人訳に飽き足らなくなったユダヤ人たちがよりヘブライ語テクストに近づけようとして作成したギリシア語訳の「アクィラ訳」「シュンマコス訳」「テオドティオン訳」、そしてベツレヘムの聖書学者ヒエロニュムスがギリシア教父やユダヤ賢者の解釈を学びながら16年かけてラテン語に訳した「ウルガータ」など、ヘブライ語聖書の古代語訳だけでもいくつもの伝統がある。
 これら古代語訳の中で、とりわけ重要であるにもかかわらず、わが国ではほとんど知られていないのがアラム語訳の「タルグム」である。ヘブライ語原典に寄り添い、ときに逸脱しながら聖書の意味を解き明かしてきたタルグムには、ラビ伝承によれば、書記エズラの律法朗読(ネヘミヤ記8章)以来の長い伝統があるとされている。しかもひとくちにタルグムといっても、公認版として比較的原文に忠実な「オンケロス」や「ヨナタン」から、ミドラッシュのように自由闊達にスピンオフを繰り返す「偽ヨナタン」まで多様性に富んでいる。また1956年にスペインの文献学者アレハンドロ・ディエズ・マチョがヴァチカン図書館で発見した「ネオフィティ」の衝撃は、まさに聖書学史上の一大事件だった。
 京都ユダヤ思想学会は、聖書翻訳への関心が高まっているまさに今このときに、タルグムというユダヤの豊穣な世界を多くの人に知っていただきたいと考える。このような問題意識に基づき、基調講演者としてタルグムとラビ文学をご専門とする勝又悦子氏(同志社大学)を、またコメンテーターとして阿部望氏(獨協大学)、飯郷友康氏(東京大学)、大澤耕史氏(中京大学)をお迎えする。聖書を翻訳するとはどのような行為なのか。聖書学やユダヤ学のみならず、宗教学、哲学、古典学、翻訳学といった広いフィールドに開か
れたこの問いを、今こそ考えてみたい。

京都ユダヤ思想学会ウェブサイト

2018年10月16日火曜日

第2回京都ユダヤ思想学会関東大会

第2回 京都ユダヤ思想学会関東大会

2018年10月27日(土) 9:30-17:15
慶應義塾大学日吉キャンパス・来往舎

1) 聖書翻訳合評会(9:30-12:00)
堀川敏寛著『聖書翻訳者ブーバー』(新教出版社)評者:田島卓(国際基督教大学)
加藤哲平著『ヒエロニュムスの聖書翻訳』(教文館)評者:新免貢(宮城学院女子大学)

2) ジェラール・ベンスーサン特別講演(13:30-15:00)
「野生の、盲目の、無際限の存在」シェリング論(フランス語/日本語:日本語訳配布、一部通訳有)

3)ゲオルク・ジンメル没後100周年記念シンポジウム(15:15-17:15)
小野文生(同志社大学)「生と社会をめぐる〈かたち〉と〈あいだ〉の思想——ブーバーとジンメル」
合田正人(明治大学)「ジンメルにおける貨幣と社会」
廳 茂(神戸大学)「ユダヤ人としてのゲオルク・ジンメル問題」
深澤英隆(一橋大学)「脱伝統の可能性と不可能性——ジンメル宗教論の諸相」

主催:京都ユダヤ思想学会
後援:慶應義塾大学教養研究センター

公式HP
https://sites.google.com/site/kyotojewish/



2018年6月15日金曜日

京都ユダヤ思想学会第11回学術大会

京都ユダヤ思想学会
第11回学術大会

日時:2018年6月23・24日
会場:同志社大学烏丸キャンパス志高館 SK112 教室

公開シンポジウム
■シンポジウム企画趣旨
「ヘルマン・コーエンにおけるユダヤ教――倫理・政治・科学」

合田正人(第11回学術大会シンポジウム企画者/本学会会長)
2018年は、ドイツで活躍した二人のユダヤ人哲学者の没後100年にあたる。ヘルマン・コーエン(Hermann Cohen)とゲオルク・ジンメル(Georg Simmel)である。京都ユダヤ思想学会ではぜひともこれら二人の哲学者をめぐるシンポジウムを開催したいと考えているが、2018年6月23日開催予定の学術大会ではヘルマン・コーエンをまず取り上げる。
コーエンはアンハルト=ベルンブルク侯国のコースヴィヒに1842年7月14日にシナゴーグの先唱者の息子として生まれた。幼少期からブレスラフの神学校でラビになるための学習を開始するが、ラビになるという計画を放棄して、ブレスラウ大学およびベルリン大学で哲学を学び、1865年にハレ大学で博士号を取得。1876年から1912年までマールブルク大学で教鞭を執り、マールブルク学派と呼ばれる新カント派の学派の生みの親となった。退官後はベルリンの「ユダヤ教学高等学院」(Hochschule für die Wissenschaft des Judentums)でユダヤ教を講じた。
西田幾多郎や田辺元の著述を見ると、明治末期から大正前半にかけてコーエンがこれら日本の哲学者たちにとって極めて重要な存在であったことが分かる。だが、現象学の興隆と共にコーエンは忘却されていった。ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(1968年)での微分の哲学をめぐる考察、1988年ジャック・デリダがエルサレムで行った講演Interpretatios at war : Kant, the Jews, the Germanに触発されて、近年、コーエンを語る若干の論者が現れたとはいえ、コーエンという哲学者の全体像に迫る研究者はまだ本邦にはなく、また、『ユダヤ教論考』全三巻(Jüdische Schriften, 1924)、『ユダヤ教を典拠とした理性の宗教』(Religion der Vernunft aus den Quellen des Judentums, 1919)の邦訳もまだ存在しない(後者については本学会員の村岡晋一氏による翻訳が進行中である)。このような状況のなかで、本シンポジウムでは、6名の発表者によっていわば多面体としてコーエンを捉え、それぞれの視点から、過去の哲学者としてではなく未発掘の哲学者としてコーエンを甦らせることをめざす。
Wissennschaft des Judentumsと呼ばれる学的運動が1820年代に始まったことはよく知られているが、それと併行して、「ユダヤ人問題」をめぐるバウアー、ヘス、マルクスらの考察が展開され、スピノザの弟子を自認するヘスの場合、それはシオニズムに行き着くことになる。まず、このような多重の動きとコーエンはどのように係わったのか。コーエンは一貫して反スピノザ、反シオニズムを唱え、ドイツとユダヤとの相乗的共生の可能性を信じ、「共にある人間」(Mitmenschen)という観念をもって倫理的社会主義とも言うべき立場を主張したが、それはどのようなものだったのか。
このようなコーエンの姿勢と彼のカント解釈はどのように関係しているのか。このカント解釈は微分ないし無限小分析となぜつながったのか。「ユダヤ教は宗教でさえない」と断じたカントの教説が、コーエンにあって「理性の宗教」としてのユダヤ教解釈に貢献したのはどのようにしてなのか。20世紀のドイツ・フランスでのユダヤ教ルネサンスとも呼びうる現象は、いずれもコーエンの思想との対話から生まれたと言っても決して過言ではない。フランツ・ローゼンツヴァイクは、レオ・シュトラウスは、そしてエマニュエル・レヴィナスはコーエンのうちに何を見たのか。また、どこでコーエンと袂を分かったのか。
これら数々の問いが交錯するなかで、ヘルマン・コーエンの生ける遺産が参加者各人のなかに様々な波紋を作り出すことを願うばかりである。

■大会プログラム
6 月23 日(土)
9:50 受付開始

【個人研究発表】
10:10-10:50 研究発表①「ゴーレム創造の歴史的変遷」
発表者:松浦翔子(京都府立大学他非常勤講師)
司会:向井直己(京都大学特定研究員)

10:50-11:30 研究発表②「日本軍政下の上海にユダヤ絶滅計画は存在したか(続)」
発表者:菅野賢治(東京理科大学)
司会:細見和之(京都大学) 

11:30-13:00 休憩(昼食)

【シンポジウム】「ヘルマン・コーエンにおけるユダヤ教――倫理・政治・科学」
13:00-13:50 会長基調講演「ヘルマン・コーエンのユダヤ教理解とその波紋」
合田正人(明治大学)19, 20世紀フランス・ドイツ思想、近代ユダヤ思想史
13:50-14:00  質疑応答
14:00-14:10  休憩

14:10-14:30 コメント①「「回帰」は現代の苦境を超えゆく処方箋たり得るか?」
石崎嘉彦(摂南大学名誉教授)政治哲学
14:30-14:50 コメント②「人間の哲学的発見 ―コーエンとローゼンツヴァイク―」
佐藤貴史(北海学園大学)ドイツ・ユダヤ思想史
14:50-15:10 コメント③「若きコーエンの哲学的出発点 ―『カントの経験の理論』以前の心理学的研究のもつ意味」
後藤正英(佐賀大学)思想史、宗教学
15:10-15:30 コメント④「京大田辺文庫における二冊のPrinzipについて」
林晋(京都大学)歴史学(思想史)、歴史社会学
15:30-15:50 コメント⑤「『ユダヤ教の源泉からの理性の宗教』における「理性の宗教」とは?」
村岡晋一(中央大学)ドイツ・ユダヤ思想、ドイツ観念論
15:50-16:05  小休憩
16:05-17:00  討議と質疑応答

17:05-17:50  総会
18:15      懇親会(芙蓉園:烏丸今出川の交差点から西に約20メートル)

6 月24 日(日)
9:50 受付開始

【個人研究発表】
10:10-10:50 研究発表③「ヘブライ語聖書における貯水穴בורの埋葬地としての役割」
発表者:新井雅貴(同志社大学神学研究科博士後期課程)
司会:勝村弘也(神戸松蔭女子学院大学名誉教授)

10:50-11:30 研究発表④「民話のなかのナフマニデス:神の名前の使い手」
発表者:志田雅宏(日本学術振興会特別研究員)
司会:平岡光太郎(同志社大学) 

11:30-13:00  休憩

13:00-13:40 研究発表⑤「ユダヤ教とキリスト教の自己認識とその境界 ―古代末期のシリアを中心に―」
発表者:大澤耕史(中京大学)
司会:手島勲矢(日本学術会議連携会員)

13:40-14:20 研究発表⑥「レヴィナスにおける彼性と主体の関係ならざる関係 ―ロジェ・ラポルトによる解釈との関連」
発表者:犬飼智仁(明治大学大学院文学研究科仏文専攻博士後期課程)
司会:藤岡俊博(滋賀大学)

14:20-15:00 研究発表⑦「構想される無限とその痕跡 ―カント『判断力批判』のデリダによる読解から」
発表者:長坂真澄(群馬県立女子大学)
司会:合田正人(明治大学)

京都ユダヤ思想学会公式ホームページ
https://sites.google.com/site/kyotojewish/



2018年5月18日金曜日

講演会「ユダヤ啓蒙思想とメンデルスゾーン」(S・ファイナー、M・ゴットリープ)

「ユダヤ啓蒙思想とメンデルスゾーン」
―シュムエル・ファイナー氏、ミヒァ・ゴットリープ氏講演会 

「ユダヤ啓蒙思想とメンデルスゾーン」をテーマに、シュムエル・ファイナー氏(バルイラン大学教授、エルサレム・レオベック研究所所長)とミヒャ・ゴットリープ氏(ニューヨーク大学准教授)を招いて、下記の講演会を開催します。ファイナー氏はハスカラー研究で世界的に著名な学者であり、ゴットリープ氏はモーゼス・メンデルスゾーンや近代ユダヤ思想に関する中堅世代を代表する研究者です。皆さまのご来場をお待ちしております。

東京講演会 
日時:2018年7月1日(日) 13時30分~16時50分  
会場:東京大学(本郷キャンパス) 文学部3番大教室(国際学術総合研究練)
※赤門の近くの建物になります。

ファイナー氏講演
「ユダヤの伝統への挑戦 -18世紀ヨーロッパにおける楽しみ、文化変容、世俗化」Shmuel Feiner
Challenging Jewish Tradition: Pleasures, Acculturation and Secularization in 18th Century Europe
コメンテーター:向井直己(京都大学)

ゴットリープ氏講演
「モーゼス・メンデルスゾーンの現代性 ―マイノリティにとっての教訓」
Michah Gottlieb
Moses Mendelssohn Today: Lessons for Minorities
コメンテーター:市川裕(東京大学)

司会:後藤正英(佐賀大学) 通訳:ギブソン松井佳子(神田外語大)


京都講演会
日時:2018年7月8日(日) 13時30分~16時50分 
会場:同志社大学(烏丸キャンパス) 志高館1階SK118
※ 今出川キャンパスから今出川通沿いに少し北上したところにあります。

ゴットリープ氏講演
「モーゼス・メンデルスゾーン ―神話、歴史、宗教的寛容を求めるユダヤ教徒の闘い」
Shmuel Feiner
Moses Mendelssohn: The Myth, the History, and the Jewish Battle for Religious Tolerance  
コメンテーター:後藤正英(佐賀大学)

ゴットリープ氏講演
ドイツのユダヤ哲学が辿った二つの道:モーゼス・メンデルスゾーンとフランツ・ローゼンツヴァイク
Michah Gottlieb
Two Paths of German Jewish Philosophy: Moses Mendelssohn and Franz Rosenzweig
コメンテーター:細見和之(京都大学)

司会:小野文生(同志社大学) 通訳:ギブソン松井佳子(神田外語大)


使用言語は英語、講演原稿は日本語訳を配布、質疑応答は通訳が付きます。

主催:科研費・基盤研究(C)「モデレート啓蒙主義の再考―メンデルスゾーンにおける啓蒙と宗教の両立可能性」(代表者:後藤正英)
共催(東京講演会);東京大学人文社会系研究科 市川裕研究室、日本ユダヤ学会
共催(京都講演会):京都ユダヤ思想学会


2017年11月7日火曜日

京都ユダヤ思想学会創立10周年記念東京大会

京都ユダヤ思想学会創立10周年記念・東京大会

12月2日(土)・3日(日)
慶應義塾大学日吉キャンパス・来往
https://www.keio.ac.jp/ja/maps/hiyoshi.html

①記念シンポジウム「いま倫理(エティカ)とはなにか スピノザを考える」
12月2日(土)13:00- 来往舎・シンポジウムスペース

13:00-13:10 開会挨拶 勝村弘也(京都ユダヤ思想学会前会長・神戸松蔭女子学院大学)
13:10-13:20 司会趣旨説明 藤岡俊博(滋賀大学)
13:20-14:00 朝倉友海(神戸市外国語大学)「スピノザ・ヘーゲル関係再考 数理思想的観点から」
14:00-14:40 手島勲矢(日本学術会議連携会員)「名前の思想について スピノザとヘブライ語文法の考察」
14:40-14:50 休憩
14:50-15:30 國分功一郎(高崎経済大学)「スピノザにおける〈永遠であること〉の感覚と経験について」
15:30-16:10 合田正人(京都ユダヤ思想学会会長・明治大学)「論争のなかのスピノザ ベールからレヴィナス」
16:10-16:20 休憩
16:20-17:20 全体討議
17:20-17:30 閉会挨拶 渡名喜庸哲(慶應義塾大学)

②ワークショップ「ユダヤ思想と現代思想」
12月3日(日)10:30-12:05/13:00-14:30 来往舎・大会議室

10:30-10:35    司会挨拶 小野文生(同志社大学)
10:35-11:20  藤岡俊博(滋賀大学)「レヴィナスとロレンス 異教的超越」(質疑含む)
11:20-12:05  馬場智一(長野県短期大学)「コーヘンとマイモニデス」(質疑含む)
12:05-13:00  休憩 
13:00-13:45  丸山空大(東京外国語大学)「現代ユダヤ思想における律法 ローゼンツヴァイクとヘシェル」(質疑含む) 
13:45-14:30  佐藤香織(神奈川大学)「ローゼンツヴァイクとレヴィナス 聖書を「読むこと」と「対話」」(質疑含む)

③菅野賢治氏『フランス・ユダヤの歴史』合評会
15:00- 来往舎・大会議室

15:00-15:05   司会挨拶   後藤正英(佐賀大学)
15:05-15:15   自著紹介   菅野賢治(東京理科大学)
15:15-15:50   コメント1 渡名喜庸哲(慶應義塾大学)
15:50-16:25   コメント2 伊藤玄吾(同志社大学)
16:25-17:00   コメント3 臼杵陽(日本女子大学)
17:00-17:30   質疑応答



2017年5月31日水曜日

京都ユダヤ思想学会第10回学術大会

京都ユダヤ思想学会
第10回学術大会・公開シンポジウム

2017年6月24日(土)
同志社大学烏丸キャンパス 志高館SK112教室

第10回学術大会個人発表
9:30-9:40 
吉野斉志(京都大学博士課程)
研究発表①「ベルクソンとアインシュタイン ―哲学者と物理学者、世紀の論争を読み直す―」
司会:馬場智一(長野県短期大学助教)

10:10-10:50 
高野浩之(中央大学博士後期課程)
研究発表②「レヴィナス『全体性と無限』における「顔の彼方」のエロス論」
司会:馬場智一(長野県短期大学助教)

10:50-11:30 
菅野賢治(東京理科大学)
研究発表③「日本軍政下の上海にユダヤ絶滅計画は存在したか?」
司会:宮澤正典(同志社女子大学名誉教授) 

公開シンポジウム(13:00-17:00)
13:00-13:10 
伊藤玄吾(同志社大学/第10回学術大会シンポジウム企画者)
企画趣旨「ルネサンス・人文主義・宗教改革とユダヤ ―ルター「95ヶ条の論題」500周年―」
   
13:10-13:40
関哲行(流通経済大学)中世スペイン史
提題①「中近世イベリア半島におけるユダヤ人(マラーノ)の移動」

13:40-14:10 
根占献一(学習院女子大学)ルネサンス文化・思想史
提題②「ルネサンスにおけるユダヤ思想――その展開と特質」

14:10-14:40
村上みか(同志社大学)歴史神学、宗教改革史
提題③「ルターのユダヤ人理解―近年の研究における新しい視点より―」

14:40-14:50 
休憩

14:50-15:20 
手島勲矢(日本学術会議連携会員)ユダヤ教文献学
提題④「宗教改革とラビ聖書:16世紀ユダヤ文献学の意義」

15:20-15:50 
伊藤玄吾(同志社大学)ルネサンス文学・思想史
提題⑤「エラスムスからラブレーへと至る人文主義の一潮流とユダヤ」

15:50-15:55 
休憩

15:55-17:00 
質疑応答

17:10-18:00
総会

18:00
懇親会(芙蓉園)

■大会企画趣旨

「ルネサンス・人文主義・宗教改革とユダヤ -ルター「95カ条の論題」500周年-」
伊藤玄吾(同志社大学/第10回学術大会シンポジウム企画者)

2017年はルターの「95ヶ条の論題」から500周年ということで、関連する様々な催しかが各地で行われる。ルターに象徴される宗教改革というものが、その後のヨーロッパの宗教・ 思想・文化・政治・経済の歩みに決定的な影響を与えたことを考えれば、それは狭い意味 でのキリスト教史や教義史の次元においてだけでなく、その出発点である15世紀~16世 紀という時代の文脈においてより多次元的・批判的に捉えられることが必要であろう。一般にルネサンスという言葉で括られるこの時代は、大規模な人的移動に伴うダイナミックな知的交流の時代である。ヨーロッパの「東の防波堤」とされたビザンツ帝国の崩壊をきっかけにビザンツ知識人が西へと流れ、主にイタリアにおいてギリシア語古典文献の再発見と古典語研究ブームを惹き起こし、それが後に聖書テキストの批判的研究へと繋がっていったことはよく知られている。しかし、それに劣ることなく重要な出来事は、その半世紀後に西の「大地の果つる場所」であるイベリア半島から大量のユダヤ人が追放され、東へと流れていき、地中海沿岸地域において新たな共同体と知的活動の核を形成していったことであり、特にイタリアにおいて、学識のあるユダヤ人たちとキリスト教界の最も優れた学者たちの交流をきっかけにヘブライ語、聖書及び各種ユダヤ教文献研究の一大ブームが巻き起こり、ヨーロッパの新たな知的世界の形成に大きな影響を与えたことである。飽くなき好奇心を持ってユダヤの知と取り組んだキリスト教の学者たち、彼らの師であるユダヤ知識人たち、古典ギリシア・ラテンの伝統とユダヤの伝統の両方に通じた改宗ユダヤ人の学者たち、そして彼らの活動を支えた印刷業者たち(それはピコ・デッラ・ミランドラ、J.ロイヒリン、S.ミュンスター、レオ・ヘブラエウス、エリアス・レヴィタ、D.ボンベルクといった人々に象徴される)が織り成すダイナミックな知的交流を踏まえることで、人文主義や宗教改革が何であったのかをより本質的な形で考察することができるのではないだろうか。一方で私たちはこうした知的交流の限界にも目を向けないわけにはいかない。その交流がいかにダイナミックなものであり、知的世界における大きな衝撃であったとはいえ、それがユダヤ教に対する宗教的偏見を解消したわけではなかったし、ヨーロッパ世界におけるユダヤ人に対する様々な社会的差別と向き合い、その地位や境遇を具合的に改善することにつながったわけではない。ヴェネツィア・ゲットーの成立やイベリア半島において猛威を振るった異端審問も同時代の出来事であったことなどを改めて確認することに加え、ルターのあからさまに反ユダヤ的な言説や、さらには「人文主義の法王」や「ヨーロッパの教師」と呼ばれ、現代においてもヨーロッパの知的良心・寛容と統合のシンボルとされることの多いエラスムスがその著作の端々で漏らすユダヤ的なものへの根深い猜疑心とも向き合うことが必要である。ルネサンス期人文主義と宗教改革の思潮において様々な形で 論じられていった「人間」、「個」、「全体」、「無限」、さらには「尊厳」、「自由」、「寛容」、「友愛」などの問題にしても、それをあえて「ユダヤ」という視点から問い直す作業は、その後500年を経た21世紀に生きる私たちにとってもある種のアクチュアリティーを有するものであり、私たちの学会にふさわしいものであると考える。


個人研究発表
研究発表①「ベルクソンとアインシュタイン―哲学者と物理学者、世紀の論争を読み直す―」吉野斉志(京都大学博士課程)

ベルクソンの『持続と同時性』(1922年)はアインシュタインの相対性理論と対決した著作であり、刊行前に行われた二人の対論と併せて、時代を代表するユダヤ系の哲学者と物理学者の対決であった。しかしこの著作の議論はしばしばベルクソンの物理学に対する誤解を示すものと見なされており、同書はベルクソン著作集にも収録されなかった。
だがその結果として、実のところ『持続と同時性』でベルクソンが論じようとしていたことは何であったのか、そこに物理学的な誤解に回収されない価値ある哲学的議論があるのかどうかは、十分に論じられずにきた。
本発表は『持続と同時性』の哲学的意味をあらためて解明するため、まずは相対性理論を紹介したランジュヴァンの講演をベルクソンがつねに念頭に置いていることを確認した上で、その「砲弾への旅行」という思考実験(後に「双子のパラドックス」として知られることになる)を軸に、ベルクソンが何をどう理解しているかを読み解く。ここでは同時代の議論の文脈を明らかにすると同時に、必要ならば現代物理学からの知見も交えて、実証的にはどうなるかも併せて示す。これにより、もしベルクソンの理解に不適切な点があるとすれば、それは何に基づいているのかも明らかになるであろう。
ベルクソンの議論は、彼の言う「時間」を物理的パラメータだと見なす限り、実証的に支持されえないものを含む。また『持続と同時性』の「時間」は彼が他著作で論じた「純粋持続」に基礎を置いてはいるが、それと同一でもない。しかし彼が本当に論じているのは、たとえば異なる時計がそれぞれ異なる時間を刻むとして、それらを包摂する宇宙的時間について語りうる可能性なのである。この論点から見る時、ベルクソンの議論の少なくとも一部は哲学的に命脈を保つだけでなく、現代物理学を前にしても興味深いものを示すであろう。

研究発表②「レヴィナス『全体性と無限』における「顔の彼方」のエロス論」高野浩之(中央大学博士後期課程)

エマニュエル・レヴィナスの主著『全体性と無限』第四部「顔の彼方へ」で論じられる「エロスの現象学」は、如何なる意味で「顔の彼方」なのか。これが本報告のテーマである。従来、「繁殖性」が顔との関係では不可能であった死の克服を可能にするという点から、「顔の彼方」が論じられてきた。つまり、まず顔としての他者との出会いがあり、次に子を産出する「エロス」が顔を超える経験として提示されるというわけである。
本報告は,別の観点を提示して、「顔の彼方」を論じる。エロスの相関者としてレヴィナスが提示する「女性的なもの」のエロティックな美は、顔との関係に依拠してはじめて生起する。顔との関係を前提としつつ、その顔を否定することによって女性的なものの美が際立つ、この顔の否定という契機が、「顔の彼方」を説明するものと思われる。本報告は、『全体性と無限』を中心としたレヴィナスの記述を読解することによって、この点を証し立てるものである。
まず第一章では、他人との対話の場面を考察し、顔との関係の要点が整理される。次に第二章では、愛撫の経験を起点として、他者とのエロティックな関係の諸特徴が見出され、顔との関係とエロティックな他者関係の相異点が指摘される。そして第三章で、エロティックな他者関係が顔との関係を前提とするということの意味が考察される。
本報告の特徴は、エロティックな現象の生起そのものに顔との関係が含意されているという点を明確化する点にある。「顔の彼方」を説明するものは、『全体性と無限』のテキストの順番や私たちの経験の順番、顔との関係では不可能であった死の克服などに限られないと思われるのである。

研究発表③「日本軍政下の上海にユダヤ絶滅計画は存在したか?」菅野賢治(東京理科大学)

昨年、本研究の発表者が訪れたオーストラリアの「シドニー・ユダヤ博物館」の一般展示室には、1940年のリトアニアで、いわゆる「命のヴィザ」の発給により数多くのユダヤ難民を救った杉原千畝の写真と並び、やはり戦時期、中国の上海に滞在、滞留していた二万人規模のユダヤ系住民を独=日共同の絶滅政策から救った「義人」として、当時、上海総領事館員だった柴田貢(しばた・みつぎ)の写真が掲げられている(2016年8月現在)。時折、博物館を訪れる日本人観光客たちは、杉原の写真を既知として確認しながら、他方の柴田については、いかにも怪訝そうに、その肖像と解説を代わる代わる眺めている。 発表者は、かねてよりトケイヤー、シュオーツの『河豚計画』(原著1979年)をつうじて柴田の存在を知っていた。帰国後、上海を経由した元ユダヤ難民たちの回想録や、各言語の史家たちによる研究書を繙いてみると、その多くにおいて、たしかに1942年夏、上海には駐日ドイツ大使館付警察武官ヨーゼフ・マイジンガーの肝いりによるユダヤ絶滅計画が存在し、それを柴田領事館員がみずからの職位を投げ打って阻止した、という記述が受け継がれている。他方、この逸話の史実性に疑問を禁じ得ない書き手たちは、あくまでも伝承にすぎない、とした上で言及するか、あるいは当初からこの逸話には触れずに済ませるか、そのいずれかである。かくして、ヨーロッパにおけるユダヤ教徒・ユダヤ人の絶滅に関する研究が、日本語でも、年々、充実・発展の一途を辿るなか、日本軍政下の上海に同種の絶滅計画が存在したのか否か、という歴史の問いには、いまだ信頼に値する定説がない、というのが現状である。
本研究発表においては、戦後、時間の経緯のなかで時に相互に矛盾し合う証言を時系列の上で整理し直し、同時代の状況証拠にも依拠しながら、この種の絶滅計画の「不在」を結論づけるための準備作業に着手する。


公開シンポジウム

提題①「中近世イベリア半島におけるユダヤ人(マラーノ)の移動」関哲行(流通経済大学社会学部教授)

封建制社会の危機の時代にあたる14世紀末、ユダヤ人のイメージは大きく劣化し、ユダヤ人はイエスを殺害した「神殺しの民」、「悪魔サタンの手先」とされた。こうした「負のイメージ」と社会・経済的危機を背景に、1391年、スペインで民衆を主体とした大規模な反ユダヤ運動が勃発した。15世紀に入るとドミニコ会士ビセンテ・フェレールが、イベリア半島全域で威圧的なユダヤ人改宗運動を展開し、有力ユダヤ人を中心に多くのユダヤ人が改宗した。しかし王権と教会は改宗ユダヤ人(コンベルソ)に、組織的な教化策を実施せず、偽装改宗者(マラーノ)が続出した。そのため1449年トレードで、コンベルソへの不信の表明ともいうべき「判決法規」が制定され、彼らによる都市官職保有が禁じられた。
こうした歴史的前提の上にカトリック両王は、ローマ教皇の認可を得て1480年、最初の異端審問所を開設した。新たな異端審問制度は、コンベルソの「真の改宗」を目的とした、国家と教会の組織的対応を意味し、「旧キリスト教徒」民衆の強い支持を受けた。しかしこの異端審問制度をもってしても、巧妙な偽装改宗者を防止できず、コンベルソ問題の抜本的解決には至らなかった。そこでカトリック両王は1492年3月、ユダヤ人に4か月以内の改宗か追放かの二者択一を迫るユダヤ人追放令を発した。追放令により新たに数万人のユダヤ人が改宗する一方、7~10万人のユダヤ人が信仰を守ってスペインを離れた。
スペインを離れたユダヤ人は、ポルトガル、フランス、オスマン帝国、マグリブ諸都市に向かったが、1496年にポルトガルでユダヤ人追放令が出されると、同様に多くのユダヤ人が改宗を強制された。1506年にはポルトガルで大規模な反コンベルソ運動が発生したばかりか、スペインとポルトガルの異端審問所の取り締まり強化、「血の純潔規約」の多様な機関や社団への導入を前に、16世紀以降もイベリア半島の偽装改宗者の亡命が相次いだ。これらの偽装改宗者は一般に、信仰の自由と自治権を保障するユダヤ人共同体が組織され、親族ネットワークを活用できる都市に移住する傾向があった。メシア思想や終末論が浸透する中で、偽装改宗者の一部は、パレスティナ地方やアメリカ植民地にまで進出したが、本報告では、イサーク・アブラバーネル、グラシア・ナシ、ウリエル・ダ・コスタを例に、ユダヤ人(マラーノ)の移動の一端を探りたい。


提題②「ルネサンスにおけるユダヤ思想――その思想と特質」根占献一(学習院女子大学国際文化交流学部教授)

ヒューマニズム(人文主義)・アリストテレス主義・そしてプラトン主義の観点から、ルネサンス文化を形成する時代の思想を理解することは可能であろう。中世との比較から、あるいはイタリア・ルネサンスの特徴から以下の点が指摘できるであろう。ヒューマニズムはフマニタス研究(studia humanitatis)のことであり、それまでの論理学(弁証法)重視のリベラルアーツに代わり、ここではレトリック重視の学科構成となった。アリストテレス哲学は大学の形成とスコラ学との関わりが深いが、ここではイタリアの大学の学部構成の特徴、特にパドヴァ大学でのアリストテレス読解の特質が注目されなければならないであろう。最後に、プラトン主義は中世来のラテン的伝統に加えて、新たにフィレンツェのマルシリオ・フィチーノ(1433-1499)を軸とするプラトン・アカデミーの活動を考えておかなくてはならないだろう。
では、これらの思想的潮流とともに、ルネサンスにおけるユダヤ(ヘブライ)思想はどのように特徴づけられるであろうか。本発表では、時代を代表する思想家を介して同思想の特質を明らかにすべく特に以下の人物たちに注目したい。先述のプラトン・アカデミーの一翼を担う、「人間の尊厳」の哲学者ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494)、宗教改革前夜の第5ラテラノ公会議(1512-1517)時代の重要な神学者エジディオ・ダ・ヴィテルボ(1469-1532)、そして宗教改革とイエズス会の活動期が始まった頃のフランスの特異な思想家ギヨーム・ポステル(1510‐1581)など。また彼らとの関連でユダヤ人の思想家なども取り上げられることになろう。
日本の学界では、ここで対象となる「ルネサンス」が「中世のルネサンス」――カロリング・ルネサンスや12世紀ルネサンスなどのほか、多数に上る――と同比重で語られがちであるが、これは重大な時代誤認だろう。本シンポジウムの狙いにあるように、ここでのルネサンスは宗教改革と同時代の出来事であり、近代の始まりを成す画期と位置付けなくてはならないほどの重要性を持っているのである。しかもそれは大航海時代ともなり、日本に「新キリスト教徒」を見出すことは困難ではなかった。


提題③「ルターのユダヤ人理解―近年の研究における新しい視点より―」村上みか(同志社大学神学部教授)

20世紀のホロコースト以後、ルターのユダヤ人理解に注目が集まり、特に彼の晩年の著作『ユダヤ人とその偽りについて』(1543年)の問題性が指摘され、批判的な考察が行われた。その後、1960年代頃より、ルター神学の歴史研究が進展し、彼のユダヤ人理解についても、それを歴史的視点から捉えなおし、その意図をより正確に理解しようとする試みがなされてきた。本発題は、これらの新しい研究成果に基づきつつ、ルターのユダヤ人理解を歴史的文脈の中に位置づけ、読み解くことを試みる。すなわち、ルターのユダヤ人についての発言は彼の置かれていたその都度の状況に規定されており、16世紀前半の時代状況、彼の宗教改革的神学の形成、宗教改革運動の展開、そして新しい福音プロテス主義タント教会(領邦教会)の形成といった諸要素との関連において語られ、またその内容を変化させていった、その様子を明らかにしたいと思う。一つの例を挙げるならば、初期ルターのユダヤ人批判の根拠は彼の新しい神学「信仰義認論」にあり、ユダヤ人の律法重視のあり方が「行為義認」的であるとするものであった。しかし行為義認の批判はユダヤ人だけでなく、キリスト者にも向けられており、ローマ教会の修道士やボヘミア兄弟団も同じレベルで共に批判を受けたのである。
このように歴史的プロセスを視野に入れることにより、ルターの発言の神学的、教会政治的意図が明らかとなり、その限界についても改めて考察を行うことになるだろう。その際、彼のユダヤ人理解を規定し、ナチズム台頭の一因ともされた彼の教会論(いわゆる二王国論)についても紹介する。さらにルター以後のドイツ・ルター派教会とユダヤ人との関係についても言及し、ルターのユダヤ人理解がそのまま20世紀に至るまで継続的に維持されたわけではなかったことも指摘する。
このような考察を通じて、ルターの理解をより正確に歴史の中に位置付け、その影響力や問題性についても、これまでとは異なった仕方で理解することが可能になるだろう。


提題④「宗教改革とラビ聖書:16世紀ユダヤ文献学の意義」手島勲矢(日本学術会議連携会員)

宗教改革の「聖典のみ(Sola scriptura)」は、プロテスタントの旗印として有名になるが、そこでは一体何が起きているのか?その「聖典のみ」の主張の理解には、より大きな視点で、ユダヤ文献学の文脈から考える必要を思う。プロテスタントは、カトリックに対抗する方法として、ヘブライ語原典の重要性をもって、それまでの教会の翻訳聖書を批判するのだが、そのヘブライ語聖書の出発点となるラビ聖書初版は、「ルターの95箇条の論題」と同じ1517年にヴェネツィアで出版されている。従って、ラビ聖書の存在が宗教改革の動機になったのでもなければ、宗教改革のゆえにラビ聖書が誕生するわけでもないと考えるべきであり、直接的にはお互いは無関係の出来事であると思われる。しかし、その後の歴史を見ると、ローマ教会の権威にプロテストする人々にとってラビ聖書の存在は小さくないし、逆にユダヤのラビ聖書にヘブライ語聖書の原点を求める姿勢はプロテスタントにとって全く問題無しとは言えない。宗教改革は、17世紀に向けて、イタリアのヘブライ語文法や聖書を巡るルネサンスを自分のものにすることで西洋のインテレクチュアル・ヒストリーに確かなインパクトを持つようになるが、ヘブライ語聖書ルネサンスが宗教改革にどの様な思想的影響を及ぼしたのかについて、ラビ聖書を生み出したヴェネツィアのボムベルグ出版の活動を中心に起こった聖書の認識変化の意義を尋ねながら、宗教改革が否応なく受け継がざるを得ない当時の思想的問題のリアリズムについて少し考えてみたい。


提題⑤「エラスムスからラブレーへと至る人文主義の一潮流とユダヤ」伊藤玄吾(同志社大学グローバル地域文化学部准教授)

「人文主義の王者」や「ヨーロッパの教師」と呼ばれ、人文主義と宗教改革を結ぶ大きな役割を果たしたエラスムスは、現代に至るまでヨーロッパの知的良心、寛容と統合のシンボルとされている。それは現代のEUにおいて、学生・教員の国境を越えての相互交流を促進するプログラムが「エラスムス計画」と呼ばれていることにもよく見て取ることができる。
近年、エラスムスの地元であるオランダにおいて、その著作群における反ユダヤ的側面を扱う研究書や論文が現れて話題となったが、それらの問題提起の中にはエラスムス研究上の専門的な議論にとどまらず、彼が象徴するヨーロッパの「人文的教養」とそれに基礎を置く「知的良心」や「寛容」の内実を再検討しようとする試みも当然ながら含まれている。
本発表では、エラスムスをめぐるオランダでの最近の論争を出発点にして、エラスムス自身そして彼に続く人文主義者たちのうち、1)ヘブライ語そしてユダヤの知の世界に深い関心を持ち、2)宗教改革に共感しつつもその本流とは一定の距離を保ちながら多くの著作を残し、3)その後の世代の思想と文芸に少なからず影響を及ぼした人物としてジャック・ルフェーブル・デタープル、そしてフランソワ・ラブレーへと至る人文主義の一潮流を取りあげ、それをユダヤの知および同時代のユダヤ人たちとの関わりという観点から考察してみたい。エラスムスの諸著作におけるヘブライ語聖書、ユダヤ的知そして同時代のユダヤ人に対する言及内容の様々な問題点を、当時の文脈を考慮しつつ丁寧に検討していくことは重要であるが、同時にそこにとどまることなく、それらの問題点が、彼を師と仰ぐ一連の人文主義者の著作の中でいかに引き継がれ、修正され形を変えながら、人文主義的教養を基盤とするヨーロッパの知的な言説世界の構成要素となっていったのかを検討することも重要であろう。エラスムスの諸テキストを起点にし、さらにルフェーブル・デタープル『詩篇校合五篇』、『校訂聖パウロ書簡と注解』およびラブレー『第四之書』の分析を手がかりに考察を進めたい。

ポスターPDFなど、詳細は下記公式HPにて
https://sites.google.com/site/kyotojewish/

2016年6月20日月曜日

京都ユダヤ思想第7号(2016)

京都ユダヤ思想
第7号(2016)

巻頭言
武藤 慎一  ヘブライ性、ユダヤ性、アラム性、キリスト教性  1

論文
志田 雅宏  ナフマニデスと『セフェル・イェツィラー』  7
田中 直美  F・ローゼンツヴァイクにおけるユダヤ性(Judentum)の〈復元〉と翻訳の課題について―『イェフダ・ハレヴィ』のあとがきの検討を中心に―  36
吉野 斉志  死と復活の意味―アグノンとレヴィナス―  58

大会報告
第8回学術大会シンポジウム
マルティン・ブーバー、非類型的思考の行方―没後50周年を記念して― 85

記念シンポジウム1 「生きる思想としてのブーバー」
基調講演 マルティン・ブーバー、非類型的思考の行方 ―没後50周年を記念して 小野 文生 86
提題1 ブーバーと私―ブーバーの聖書解釈を通して 勝村 弘也 126
提題2 バルト「神の名」論と親鸞「本願名号」論―「宗教の真実」の差異性と応答性、ブーバー「根元語」思索を介しての一考察― 高田 信良 138
提題3 私が出会ったマルチン・ブーバーとその周辺の人々 手島 佑郎 158

書評
丸山 空大  佐藤 貴史著『ドイツ・ユダヤ思想の光芒 170

その他

2016年4月27日水曜日

京都ユダヤ思想学会2016年度学術大会

京都ユダヤ思想学会
2016年度学術大会

2016年6月19日(日)13:00-17:20
同志社大学烏丸キャンパス志高館

シンポジウム「聖戦と十字軍 ―現代・歴史・一神教が交差するところ―」
基調講演者:山内進(一橋大学名誉教授/西洋法制史)

コメンテーター:合田正人(明治大学教授/西洋思想史)
            小原克博(同志社大学神学部教授/キリスト教神学)
            中田考(同志社大学客員教授/イスラーム学)
            勝村弘也(神戸松蔭女子学院大学名誉教授/旧約学)

司会:手島勲矢(日本学術会議連携会員/ユダヤ教文献学)

〈企画趣旨〉 ニューヨーク、ボストン、パリ、アンカラ、ベイルート、エルサレムなど世界中で、主にイスラーム過激派による無差別テロ事件が勃発しています。それは、西欧諸国およびロシアのシリア空爆やイスラエルのガザ空爆などの国家暴力とも切り離せない出来事でありながら、同時に一神教の信仰や記憶などとも無関係でないことは、テロリストの声明文などからも明らかであるかと思います。2016年度大会シンポジウムでは、その暴力の連鎖の背後で繰り返し使われる「聖戦」「十字軍」という言葉に含まれる意味に注目し、そこからイスラームと西欧の関係、および信仰と暴力の関係について、≪現代思想≫、≪歴史研究≫、≪一神教神学≫という三つの文脈の視点を交差させながら、その概念的背景やそこから派生する諸問題の発掘を試みたいと思います。基調講演者には我が国における十字軍研究の第一人者、山内進氏(一橋大学名誉教授・西洋法制史)をお招きし、コメンテーターには合田正人氏(明治大学教授・西洋思想史)、小原克博氏(同志社大学神学部教授・キリスト教神学)、中田考氏(同志社大学客員教授・イスラーム学)、勝村弘也氏(神戸松蔭女子学院大学名誉教授・旧約学)をお迎えします。聖戦と十字軍の歴史的な実像から、現代にまで続く一神教の伝統と記憶の政治的な意義まで、各氏それぞれの学問的な知見をより合わせながら、自由闊達な議論と学術的対話の場が生まれることを目指します。ご期待ください。 (一般公開・参加費無料)


2016年3月5日土曜日

『京都ユダヤ思想』第6号(2016)

『京都ユダヤ思想』 第6号(2016)

巻頭言 
氣田雅子 ハンス・ヨナスにおける宗教と非宗教の間  1

論文
馬場智一 全体性の彼方へ―コーヘン、ゴルディーン、レヴィナス―  4
上原潔  「アウシュヴィッツ以降の神概念」に応答するキリスト者の声
        ―ハンス・ヨナスとエバハルト・ユンゲルにおける「神の全能性」の問題― 35

第七回学術大会シンポジウム(2014年6月21日)
アウシュヴィッツ以後の「ユダヤ的なるもの」
Das Judentum nach Auschwitz

講演
品川哲彦 内在と超越―ハンス・ヨナス哲学の展開  62

コメント
芦名定道 現代キリスト教思想とユダヤ的なもの  88
石崎嘉彦 アウシュヴィッツ以後「哲学すること」の意味について  94
島薗進  科学技術の破局的展開に抗するユダヤ思想  101
村岡晋一 アウシュヴィッツ以後の言語の問題  109

特別寄稿
合田正人 ハンス・ヨナスの生命哲学と心身問題  125

書評
ヒラリー・パトナム『導きとしてのユダヤ哲学』(評:渡名喜庸哲)  144