京都ユダヤ思想学会第15回学術大会
公開シンポジウム
文法、カバラー、詩
― ヨーロッパ・ルネサンス期の言語思想とユダヤ ―
〜古のことばの深みへと迫る若き情熱の時代を読み解く〜
日時: 2022 年 6 月 25 日(土)
会場: 同志社大学今出川キャンパス至誠館 32 教室
およびオンライン(Zoom)
【6/22更新:開催形態がオンラインのみに変更されました!】
【個人研究発表】(9:20ー12:00)*参加費500円がかかります。
【シンポジウム】(13:00−16:45)*参加費無料です。
*申し込みは締め切りました。
個人研究発表
9:20-10:00
松葉 類(同志社大学)
「レヴィナスにおける「国家」の概念化 ―「自由と命令」における政治的な問い」
司会:藤岡 俊博(東京大学)
本発表はエマニュエル・レヴィナスの一九五〇年代初頭の思索において、「国家」が概念化される仕方について論じる。一九五三年の論考「自由と命令」でレヴィナスは、プラトンの『国家』を参照しながら、自由を保障する国家の必要性を説いている。自由な行為にとって、圧政による妨害とそれに対する服従の内面化は避けがたく、あらかじめ自己の外に命令を設けなければならない。この自由の条件となる命令は、プラトンのいう「正義の国家」と重ね合わされ、政治的には成文法や制度という形態をとる。しかし、こうして打ち立てられた命令は非人称的なものであり、そのつど更新されていく意志の自由を疎外する別の圧政となってしまう。ここで自由の条件となった命令が、他者たちとの関係における「言説に先立つ言説」に基づく限り、この成文法は圧政とは異なる仕方で主体に働きかける。つまり、レヴィナスは、他者との関係に基づく限りで、圧政を阻止するために政治的形態あるいはプラトンのいう「国家」を要請している。
他方、広い意味での戦争がもたらすのも、主体の自由を妨害する圧政である。戦争において主体の自由にみずからの自由を暴力的に対置するのは、「顔をもたない」他者、敵として「集団となった他者」である。この他者と主体は、「顔」のように正面からではなく、つねに斜めから出会うことになる。
ここで検討されるべきは、主体に対していままさに暴力的に対立するこの他者に対して、かの政治的形態がいかにして働くかという問いである。さらにこの政治的な問いが、レヴィナスのユダヤ的著作においても切迫した形で問われていることが示されなければならない。以上のことによって、主著『全体性と無限』への思索の途上におけるレヴィナスの政治思想の射程が明らかとなるであろう。
長坂 真澄(早稲田大学)
「不動の動者と作用因としての神 ―ハイデガーの技術論のデリダによる読解から」
司会:丸山 空大(東京外国語大学)
1975-76 年講義『理論と実践』においてデリダは、ハイデガーが講演「技術への問い」および「科学と省察」(ともに 1953 年)で展開するアリストテレス読解をやや詳細に辿る。そこでデリダは、ハイデガーの或る奇妙な主張に注意を促している。ハイデガーによれば、アリストテレスが「アイティオン(αίτιον)」と呼んでいたものは「責めを負うもの」を意味していたが、ラテン語(causa)へと翻訳されるに伴い、作用因(causa efficiens)の観念へと転じてしまったと言う。
この主張がデリダの注意を引くのは、アリストテレスが問題の箇所で作用因(始動因)についても明確に語っているからにほかならない。なぜハイデガーはこのような奇妙な主張をしているのだろうか。
デリダ自身はこの問いを開いたままにしているが、我々は、後期シェリングのアリストテレス読解へと迂回することで、この問いに答える一つの道を提示することを試みる。
シェリングは『啓示の哲学』序論において、アリストテレス『形而上学』に登場する「不動の動者」は「愛される者」すなわち目的因であり作用因ではないとした上で、アリストテレスの神論をキリスト教へと接合させようとした中世哲学の苦難について語っている。実際、トマス・アクィナス『神学大全』における神の存在論証においては、アリストテレスの神の存在証明と似て非なる論証が、作用因からなる因果系列を用いて展開されている。このような哲学史観を背景とするなら、上述のハイデガーの議論が意味をなしてくる。
ハイデガーは、アイティオンからカウサへの意味の転化を、テクネーという語の意味の転化と連動的に論じている。というのも、テクネーの語もまた、真理への通路の意から、目的のための手段、或る結果を引き起こすための作用因の意へと転じるからである。
本発表では、まずアリストテレス、トマス・アクィナスの論証を振り返った後、シェリングによるアリストテレス読解を吟味し、以上を背景として、ハイデガーの論じる技術と形而上学(存在神学)との結びつきを、デリダの視点も踏まえつつ明らかにしたい。
10:40-11:20
新井 雅貴(同志社大学大学院博士課程)
「イザヤ書 14 章における死者崇拝批判 :19 節のמקברך השלכת の解釈を中心に」
司会:岩嵜 大悟(古代オリエント博物館)
イザヤ書 14:9 に現れる「レファイーム(רפאים「(とは、神格化された王家の祖先を指すウガリト語、「ラパウマ(rapaʾūma)」を念頭においたヘブライ語である。昨年度の発表では、この詩文が、神格化にかかわるこのヘブライ語にあえて言及し、それを神と対比させることによって、死者がもつ力を凌駕する神の強さを描こうとした点を指摘した。本年度はここに崇拝の場としての墓という観点を加え、イザヤ書 14 章 4b–21節に焦点をあてて、古代オリエント世界では一般的であった死者崇拝がどのような手法で批判されているか考察を深める。
18 節は、王家の死者が本来、墓に丁重に埋葬されることを説明し、19 節は、この詩文で批判されている王だけがその例外であることを主張している。19 節のמקברך השלכת は、前置詞מןの解釈によって、①移動の起点「〜から」→墓から掘り出される、②非接近「〜から離れて」→埋葬されずに墓の外に遺棄される、③否定辞「〜なしで」→墓が作られずに遺棄される、という 3 つの意味で理解されてきた。本研究はここに、④理由「〜のゆえに」の可能性を提示したい。
王の埋葬の否定においては、その王が神の言葉に従わず、神に反抗したという、神に対する王の罪が批判される(エレミヤ書 22:17–19、列王記上 14:13)。13–14 節は、この王が神のようになろうと画策していたことを述べている。死者崇拝とは、死者の神格化であり、それは YHWH 崇拝に対立する行為とみなされた。つまり、神格化された死者は YHWH に対立する存在である。これらをふまえると、この王の埋葬の否定の背景には、自らが崇拝される場として墓を用意したことが示唆される。
このように、この詩文は、古代オリエント世界で死者が神格化されていた点を認め、それを YHWH に敵対する罪であると主張することによって、崇拝の場としての墓の重要性を否定しようとしたと結論づけられる。
田中 直美(福山市立大学)
「不在のものとの関係による共同体の変革 ―F. ローゼンツヴァイクの翻訳論におけるユダヤ人とドイツ人の対話の試み」
司会:堀川 敏寛(東洋英和女学院大学)
本発表では F. ローゼンツヴァイク(Franz Rosenzweig, 1886-1929)の聖書翻訳についての考察を手がかりに、同化が進む当時のドイツ社会において彼がユダヤ人とドイツ人の対話をどのように実現しようと試みていたのかを明らかにする。
聖書の翻訳作業は 1925 年に M. ブーバーがカトリック系出版社ランベルト・シュナイダーから新たなドイツ語訳を依頼された際に、ローゼンツヴァイクとの共訳を条件に引き受けたことで開始された。彼らは(1)ドイツの同化ユダヤ人、(2)新約に対する旧約として聖書を理解してきたキリスト教徒、(3)もはや聖書の言葉に向かって自分の生を向けずにそれを読んでいる今日の人々の三者を読者の対象として考えていた(堀川敏寛『聖書翻訳者ブーバー』新教出版社、2018 年, 一一一)。それゆえ、堀川によれば彼らの翻訳聖書は「実定的宗教の信者に限定されるものではない」。というのも、「ブーバーの考える宗教性のなかにある「汝の語りかけ」を、世間一般の人たちに受け入れてもらいたいという願いが彼らにあった」からである(堀川, 一一一)。
だが、彼らが聖書翻訳で目指したのは民族や宗教を問わず全人類に「汝の語りかけ」を響かせることだけだったのだろうか。特に自由ユダヤ学舎での教育実践や 1927 年の時点で みずからが「『救済の星』(1921)からは総じて隔たってはいない」(GSⅠ-2, 1169)と述べている『救済の星』におけるユダヤ民族の特殊性を考慮すれば、少なくともローゼンツヴァイクの翻訳の試みにおいては、共同体としてのユダヤ民族の変革も目指されていたのではないだろうか。
したがって、本発表では次の 3 点を検討することによってローゼンツヴァイクがユダヤ民族の共同体の形成と、ユダヤ人とドイツ人の対話をどのように考えていたのかを明らかにしたい。(1)『救済の星』におけるユダヤ民族の特殊性。(2) 「聖書とルター」(1926) で述べられる「翻訳することは、二人の主人に仕えること」(GSⅢ, 749/三五三)という事態と「言語はただ〈ひとつ〉しかない」(GSⅢ, 769/三八七)という事態はいかに結びついているのか。(3) また、「語ることはすべて翻訳すること」(GSⅢ, 749,771/三五四、三九二)と述べられるが、実際の対話の場面での語りと原典を他言語へと変容させる翻訳はどのように関係しているのか。
公開シンポジウム
「文法、カバラー、詩―ヨーロッパ・ルネサンス期の言語思想とユダヤ」
13:00-13:05 趣旨説明 伊藤 玄吾(同志社大学)
13:05-13:55 基調講演 手島 勲矢(京都ユダヤ思想学会会長)
「ヘブライ語文法とユダヤ神秘主義: ユダヤ思想史から考える両者の関係」
(13:55-14:10 休憩)
14:10-14:40 発題① 根占 献一(星槎大学)
「フィチーノとジョヴァンニ・ピーコ ―ロレンツォ・イル・マニフィコ時代のヘブライ思想」
14:40-15:10 発題② 久保田 静香(日本女子大学)
「ペトルス・ラムスの「方法」と文法改革:16-17 世紀に普及したヘブライ語文法書との関連において」
15:10-15:40 発題③ 伊藤 玄吾(同志社大学)
「ヘブライ語とルネサンス詩学 ―Tehillim と Psalmi」
(15:40-15:55 休憩)
15:55-16:45 質疑応答
【シンポジウム】
「文法、カバラー、詩 ―ヨーロッパ・ルネサンス期の言語思想とユダヤ」
〜古のことばの深みへと迫る若き情熱の時代を読み解く〜
伊藤 玄吾 《シンポジウム企画担当》
15 世紀後半以降の西欧世界において、ヘブライ語やアラム語学習が非ユダヤ教知識層の間にも広がり、ユダヤ教関連の多様な文献が原語のままに読まれる機会も増えていった。それまでギリシア語・ラテン語という古典語を中心に言語について思考していた西欧の学者たちは、ヘブライ語という異質な言語と正面から向き合うことを通して旧来の言語概念の再考を迫られるようになった。この新たな問題意識は、当時の思想界における重要な課題であった神秘主義、古典語と各地域の俗語の優越をめぐる論争、さらには詩的言語についての議論などとも密接に結びついてルネサンス期の思想・文化の動向に大きな刺激を与え続けた。今回のシンポジウムでは、ヘブライ語研究およびユダヤ教関連文献の広がりがルネサンス期の西欧の思想にもたらした様々な地殻変動を、文法・カバラー・詩という視点から捉えてみたい。はじめに、京都ユダヤ思想学会の手島勲矢会長による基調講演において、ユダヤ教の文脈における言語研究と神秘主義の緊密な関係性を古代から近代初期まで辿り、主要な問題群とその思想史上の意義を明らかにする。さらにそうした問題群が、ルネサンス期ヨーロッパ特有の文脈においてどのような熱狂もしくは抵抗を惹き起こし、新たな知の醸成へと向かうのかを、主としてイタリアとフランスを専門とする3名の研究者が論じていく。最初に、15 世紀後半から16 世紀にかけてのヨーロッパ思想界のヘブライズムを考える上で重要な鍵となるフィチーノとピーコ・デッラ・ミランドラについて、イタリア・ルネサンス思想研究を専門とする根占献一氏(星槎大学)が、次に 16 世紀中期以降 17 世紀に至る学問改革の大きな起点となったフランスのペトルス・ラムスとその影響下に編まれたマルティニウスのヘブライ語文法について、フランス16・17 世紀思想研究を専門とする久保田静香氏(日本女子大学)が、さらにヘブライ語をめぐる言語的考察の進展が詩的言語の理解をいかに深め、聖書解釈のみならず各国語への翻訳・翻案の実践においてどのような影響を及ぼしていったかについてフランス・ルネサンス文学研究を専門とする伊藤玄吾(同志社大学)が論じる。
基調講演 「ヘブライ語文法とユダヤ神秘主義: ユダヤ思想史から考える両者の関係」
手島 勲矢(京都ユダヤ思想学会 会長)
15 世紀フマニスト(ピコ、ロイヒリン)がヘブライ語に強い興味をもっていたことは良く知られているが、彼らのヘブライ語学習への動機の一つにユダヤ神秘主義(ゾハルなど)文献を読むことにあったという時、その後の 16 世紀の宗教改革期のクリスチャン・ヘブライストたちの文法ニーズとは幾分異なるという印象を持つ。本講演は、ユダヤ思想史の中で「カバラー קבלה」「ディクドゥーク דקדוק「と呼ばれる神秘主義と文法の概念が結びつく文献の事例サンプルを、ユダヤの古代・中世・近世の著作より集め、ヘブライ語文法とユダヤ神秘主義の関係について考察・議論する。
G・ショーレムによれば、ユダヤ神秘主義の伝統は、神からの直接啓示を受ける預言者の時代が終わり、聖典タナッハ(ヘブライ語聖書)の解釈を引き受ける賢者の存在が前提にあるという。その点で、近代人が神秘主義と名づける内容をユダヤ神秘主義者たちが「カバラー」と呼んだ事実は興味深い。なぜならカバラー(伝承)という呼称は、マソラ学者(アハロン・ベン・アシェルたち)にとって、タナッハ(律法、預言者、諸書)中の「預言者」の部を意味するものであり、またアブラハム・イブン・エズラ(12 世紀文法学者)もトーラー解釈に不可欠なものがマソラ学者の伝統であると同時に、その伝統には神秘主義者の伝承も含まれることを暗示する。
ユダヤ神秘主義者はトーラー解釈の困難箇所を「秘密 סוד「または「不思議 רז「と呼ぶが、この伝統はダニエルが不思議な夢や文字を解読して予知能力を示した記事にも通じるものであり、フィロン・ヨセフスも古代のエッセネ派(またはテラペウタイ)が聖典テキストの瞑想を通じて預言・予知を追求していたと記録している。また古代ユダヤ教のヨベル書、中世のクザリの伝承においても、ヘブライ語は神の言語(神とアダムが語り合った言語)の伝統を受け継いでいるものと信じられ、父祖アブラハムはヘブライ語(エベルの言語)を天使から、またはエベルから直々に学んだと信じられている。
具体的には「預言」「文法」「詩文」をキーワードにして、古代はフィロン・ヨセフス、ゲオニーム時代は『セフェル・イェツィラー』また『ディクドゥケイ・テアミーム』、中世はイブン・エズラ、マイモニデス、ユダ・ハレヴィまたアルハリージの著作から関連箇所を集め、ユダヤ神秘主義とヘブライ語文法の関係の痕跡の分析を試みたい。特に、入り口としして 16 世紀イタリアのアザリヤ・デ・ロッシが述べる「文字は身体、母音記号は魂」の思想は −17 世紀のスピノザ文法にも出てくる− 神秘主義の聖典『セフェル・ハゾハル』『セフェル・ハバヒール』にも確認できるモチーフでもある。本講演では、聖書ヘブライ語の文法学者が依拠するティベリア式の母音記号またマソラ学者の文字数への拘りは、単なる写字生的な聖書原典の保護努力というだけでなく、預言を求める古代の神秘主義にもルーツがあるのでは?という可能性の、初学的議論を始めてみたい。
発題① 「フィチーノとジョヴァンニ・ピーコ ―ロレンツォ・イル・マニフィコ時代のヘブライ思想」
根占 献一(星槎大学 講師)
中世文化と対比してルネサンス文化を見れば、イタリア・ルネサンスの人文主義とラテン的伝統との深化は発展的なものとして、また同人文主義とギリシア的伝統との強化は特徴的なものとして捉えられてきた。前者に関しては、ラテン的中世に知られていなかった古代文献の数々が指摘できるであろうし、知られていたとしてもより完全な形で認識できるようになったということがあるであろう。後者に関しては、プラトンとプラトン主義が盛んな思想として 15世紀に現れるし、アリストテレス注釈や新たなアリストテレス『詩学』がもたらした文化が近代に大きな影響を及ぼすことになる。
これら両伝統に較べれば、ヘブライ思想とイタリア・ルネサンスとの関係は十分に注目されてきたとは言い難い。特に「異教」の地日本ではそのように映ずる。芸術を中心とするルネサンスに高い関心が払われる割には、哲学や宗教思想の分野、特にヘブライ思想になると、一般的にはまだまだ未知のままに留まっている観がある。
この方面になれば、先ずはジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463‐1494)の名が浮かぶ。「人間の尊厳についての演説」で知られる哲学者である。この演説は私が知る限り、三様の異なる和訳があり、日本でも相当の関心が払われてきた。また、その尊厳論の内容はルネサンス思想の精髄と、ヤーコプ・ブルクハルトの書き著した古典、『イタリア・ルネサンスの文化』以来、好んで引用され、強調されてきた。他方で、専門家の間では、当時のユダヤの知識人との深い交流により、ピーコは特異なキリスト教的カバラ主義者であり、カバラ思想の先駆的な理解者であると受け止められてきた。イタリアでは変わらず関心の高い哲学者であり、同時代人の医者ピエル・レオーネ・ダ・スポレートとの関係が近年話題になり、新たな理解が進んでいる。
これに対して、マルシリオ・フィチーノ(1433‐1499)はプラトン主義者として知られ、近年、特に英語圏では研究対象のブームとなり、研究書も数多く現われた。特に、米国ルネサンス学会では毎年、フィチーノに関する発表が大々的に行われて、彼の人気のほどを示している。そのような状況下ではあるが、彼とヘブライ思想との関係に主たる関心が向かうことは少なかったし、同一圏内にいた彼とピーコの思想的相違がこうして指摘されることもあった。確かにこの点に差異はあるものの、フィチーノの『キリスト教論』などの典拠上の読みが深まり、プラトン主義者に窺われるヘブライ的伝統にも注目が集まり始めている。この機に、幾らかなりともフィチーノ認識が改まるようにしたい。
本発表は以上のように予備的かつ概略的ではあるが、特に 15 世紀後半、フィレンツェのロレンツォ・デ・メディチ時代におけるヘブライ思想の局面を示すことにより、ルネサンス文化が一段と豊穣に映じたら、と願う次第である。
発題② 「ペトルス・ラムスの「方法」と文法改革: 16-17 世紀に普及したヘブライ語文法書との関連において」
久保田 静香(日本女子大学 准教授)
16 世紀フランスの人文主義者ペトルス・ラムス(Petrus Ramus, 1515-1572)は、過激な反アリストテレス主義の立場から、中世以来の自由学芸科目、なかでも三科(trivium : grammatica, rhetorica, dialectica)の改革にとりくんだ人物として知られる。そこで本発表ではまず、ラムスの学芸改革において「文法学」と「弁証術(=論理学)」が近接する学として捉えられていること、そして、「弁証術」と「修辞学」の体系の組み直しが、アリストテレス以来の弁論術(古典レトリック)のフレームに準拠しているさまを整理する。そしてこの学芸改革を敢行するにあたって前面に打ち出された「方法(methodus)」および「自然・本性(natura)」重視の思想とはいかなるものであるかを、ラムスのテクストのなかに探る。
ラムスの学芸改革は、1555 年に「弁証術」と「修辞学」が一定の完成をみたのちに、「文法学」の整備へと向かう。1559 年に刊行された『ラテン語文法全四巻(Grammaticae libri quatuor)』をベースに、翌 1560年には早くも『ギリシア語文法(Grammatica graeca)』 が編まれ、この二大古典語の文法体系の骨格を利用して、1562 年および 1572 年に『フランス語文法(Gramere / Grammaire)』が上梓される。これらの文法書はいずれも「語形論(etymologia)」と「統辞論(syntaxis)」の二本柱から成っているという特徴がある。この二部構成をそのまま敷き写しにしたかのようにして、16 世紀後半にラムス主義思想の信奉者ペトルス・マルティニウス(Petrus Martinius, ca. 1530-1594)によって『ヘブライ語文法(Grammaticae hebraeae, 1567)が世に問われた。このマルティニウスの文法書はその後 17 世紀初めにかけて、オランダをはじめとするプロテスタント諸国で好評を博すこととなる。なおラムス自身、晩年に本格的な聖書研究にとりくむためにヘブライ語の学習にとりかかっていたことが知られている。以上の事例と考察をつうじ、16-17 世紀のヨーロッパにおけるヘブライ語文法書の普及にラムス主義思想が関与していたことの理由の一端に迫ることを目指す。
発題③ 「ヘブライ語とルネサンス詩学 −Tehillim と Psalmi」
伊藤 玄吾(同志社大学 グローバル地域文化学部 准教授)
西洋ルネサンス期において、詩は狭い意味での文芸世界にとどまらず、学問や宗教はもちろんのこと、政治とも深く関わるものであり、公共的かつ実践的な性格を持つものでもあった。またそれゆえに、詩の言語とはいかなるものであり、神と個としての人間と共同体をどのように結びつけるものなのかといった考察は、旧秩序の揺らぎを経験しつつあったこの時代特有の緊張感の中で進められた。
ルネサンス期の詩的言語をめぐる議論において特筆すべきことは、古代ギリシア・ラテン語世界における詩的言語の考察の伝統と、アラビア語世界との関わりの中で形成されてきた中世ユダヤ世界の詩的言語の考察の伝統が出会っただけでなく、さらにはそれらがヨーロッパの諸国語(諸地域語)による詩作の運動とも結びついて、理論と実践が結びつく形で考察が深められていったことである。とりわけイタリアの地においては、ユダヤ教徒の学者・詩人においても、キリスト教徒の学者・詩人においてもこの 3 つの流れを踏まえて詩を論じることがなされ始めた。そこで重要なのは、詩的言語の考察が、ヘブライ語という言語と文字の特異性をめぐる文法学者たちの議論そして聖書解釈の方法をめぐる議論と密接に結びついて展開していることであり、さらには、この時代に本格的に始まる聖書の各国語への翻訳・翻案という実践的な課題とも結びついて展開している点である。本発表では、ユダヤ教において Tehillim、キリスト教の文脈において Psalmi の名で呼ばれてきた「詩篇」テクストの詩的性格の理解をめぐって 16 世紀のイタリアおよびフランスで展開された主要な議論を辿ってみたい。