2017年5月31日水曜日

京都ユダヤ思想学会第10回学術大会

京都ユダヤ思想学会
第10回学術大会・公開シンポジウム

2017年6月24日(土)
同志社大学烏丸キャンパス 志高館SK112教室

第10回学術大会個人発表
9:30-9:40 
吉野斉志(京都大学博士課程)
研究発表①「ベルクソンとアインシュタイン ―哲学者と物理学者、世紀の論争を読み直す―」
司会:馬場智一(長野県短期大学助教)

10:10-10:50 
高野浩之(中央大学博士後期課程)
研究発表②「レヴィナス『全体性と無限』における「顔の彼方」のエロス論」
司会:馬場智一(長野県短期大学助教)

10:50-11:30 
菅野賢治(東京理科大学)
研究発表③「日本軍政下の上海にユダヤ絶滅計画は存在したか?」
司会:宮澤正典(同志社女子大学名誉教授) 

公開シンポジウム(13:00-17:00)
13:00-13:10 
伊藤玄吾(同志社大学/第10回学術大会シンポジウム企画者)
企画趣旨「ルネサンス・人文主義・宗教改革とユダヤ ―ルター「95ヶ条の論題」500周年―」
   
13:10-13:40
関哲行(流通経済大学)中世スペイン史
提題①「中近世イベリア半島におけるユダヤ人(マラーノ)の移動」

13:40-14:10 
根占献一(学習院女子大学)ルネサンス文化・思想史
提題②「ルネサンスにおけるユダヤ思想――その展開と特質」

14:10-14:40
村上みか(同志社大学)歴史神学、宗教改革史
提題③「ルターのユダヤ人理解―近年の研究における新しい視点より―」

14:40-14:50 
休憩

14:50-15:20 
手島勲矢(日本学術会議連携会員)ユダヤ教文献学
提題④「宗教改革とラビ聖書:16世紀ユダヤ文献学の意義」

15:20-15:50 
伊藤玄吾(同志社大学)ルネサンス文学・思想史
提題⑤「エラスムスからラブレーへと至る人文主義の一潮流とユダヤ」

15:50-15:55 
休憩

15:55-17:00 
質疑応答

17:10-18:00
総会

18:00
懇親会(芙蓉園)

■大会企画趣旨

「ルネサンス・人文主義・宗教改革とユダヤ -ルター「95カ条の論題」500周年-」
伊藤玄吾(同志社大学/第10回学術大会シンポジウム企画者)

2017年はルターの「95ヶ条の論題」から500周年ということで、関連する様々な催しかが各地で行われる。ルターに象徴される宗教改革というものが、その後のヨーロッパの宗教・ 思想・文化・政治・経済の歩みに決定的な影響を与えたことを考えれば、それは狭い意味 でのキリスト教史や教義史の次元においてだけでなく、その出発点である15世紀~16世 紀という時代の文脈においてより多次元的・批判的に捉えられることが必要であろう。一般にルネサンスという言葉で括られるこの時代は、大規模な人的移動に伴うダイナミックな知的交流の時代である。ヨーロッパの「東の防波堤」とされたビザンツ帝国の崩壊をきっかけにビザンツ知識人が西へと流れ、主にイタリアにおいてギリシア語古典文献の再発見と古典語研究ブームを惹き起こし、それが後に聖書テキストの批判的研究へと繋がっていったことはよく知られている。しかし、それに劣ることなく重要な出来事は、その半世紀後に西の「大地の果つる場所」であるイベリア半島から大量のユダヤ人が追放され、東へと流れていき、地中海沿岸地域において新たな共同体と知的活動の核を形成していったことであり、特にイタリアにおいて、学識のあるユダヤ人たちとキリスト教界の最も優れた学者たちの交流をきっかけにヘブライ語、聖書及び各種ユダヤ教文献研究の一大ブームが巻き起こり、ヨーロッパの新たな知的世界の形成に大きな影響を与えたことである。飽くなき好奇心を持ってユダヤの知と取り組んだキリスト教の学者たち、彼らの師であるユダヤ知識人たち、古典ギリシア・ラテンの伝統とユダヤの伝統の両方に通じた改宗ユダヤ人の学者たち、そして彼らの活動を支えた印刷業者たち(それはピコ・デッラ・ミランドラ、J.ロイヒリン、S.ミュンスター、レオ・ヘブラエウス、エリアス・レヴィタ、D.ボンベルクといった人々に象徴される)が織り成すダイナミックな知的交流を踏まえることで、人文主義や宗教改革が何であったのかをより本質的な形で考察することができるのではないだろうか。一方で私たちはこうした知的交流の限界にも目を向けないわけにはいかない。その交流がいかにダイナミックなものであり、知的世界における大きな衝撃であったとはいえ、それがユダヤ教に対する宗教的偏見を解消したわけではなかったし、ヨーロッパ世界におけるユダヤ人に対する様々な社会的差別と向き合い、その地位や境遇を具合的に改善することにつながったわけではない。ヴェネツィア・ゲットーの成立やイベリア半島において猛威を振るった異端審問も同時代の出来事であったことなどを改めて確認することに加え、ルターのあからさまに反ユダヤ的な言説や、さらには「人文主義の法王」や「ヨーロッパの教師」と呼ばれ、現代においてもヨーロッパの知的良心・寛容と統合のシンボルとされることの多いエラスムスがその著作の端々で漏らすユダヤ的なものへの根深い猜疑心とも向き合うことが必要である。ルネサンス期人文主義と宗教改革の思潮において様々な形で 論じられていった「人間」、「個」、「全体」、「無限」、さらには「尊厳」、「自由」、「寛容」、「友愛」などの問題にしても、それをあえて「ユダヤ」という視点から問い直す作業は、その後500年を経た21世紀に生きる私たちにとってもある種のアクチュアリティーを有するものであり、私たちの学会にふさわしいものであると考える。


個人研究発表
研究発表①「ベルクソンとアインシュタイン―哲学者と物理学者、世紀の論争を読み直す―」吉野斉志(京都大学博士課程)

ベルクソンの『持続と同時性』(1922年)はアインシュタインの相対性理論と対決した著作であり、刊行前に行われた二人の対論と併せて、時代を代表するユダヤ系の哲学者と物理学者の対決であった。しかしこの著作の議論はしばしばベルクソンの物理学に対する誤解を示すものと見なされており、同書はベルクソン著作集にも収録されなかった。
だがその結果として、実のところ『持続と同時性』でベルクソンが論じようとしていたことは何であったのか、そこに物理学的な誤解に回収されない価値ある哲学的議論があるのかどうかは、十分に論じられずにきた。
本発表は『持続と同時性』の哲学的意味をあらためて解明するため、まずは相対性理論を紹介したランジュヴァンの講演をベルクソンがつねに念頭に置いていることを確認した上で、その「砲弾への旅行」という思考実験(後に「双子のパラドックス」として知られることになる)を軸に、ベルクソンが何をどう理解しているかを読み解く。ここでは同時代の議論の文脈を明らかにすると同時に、必要ならば現代物理学からの知見も交えて、実証的にはどうなるかも併せて示す。これにより、もしベルクソンの理解に不適切な点があるとすれば、それは何に基づいているのかも明らかになるであろう。
ベルクソンの議論は、彼の言う「時間」を物理的パラメータだと見なす限り、実証的に支持されえないものを含む。また『持続と同時性』の「時間」は彼が他著作で論じた「純粋持続」に基礎を置いてはいるが、それと同一でもない。しかし彼が本当に論じているのは、たとえば異なる時計がそれぞれ異なる時間を刻むとして、それらを包摂する宇宙的時間について語りうる可能性なのである。この論点から見る時、ベルクソンの議論の少なくとも一部は哲学的に命脈を保つだけでなく、現代物理学を前にしても興味深いものを示すであろう。

研究発表②「レヴィナス『全体性と無限』における「顔の彼方」のエロス論」高野浩之(中央大学博士後期課程)

エマニュエル・レヴィナスの主著『全体性と無限』第四部「顔の彼方へ」で論じられる「エロスの現象学」は、如何なる意味で「顔の彼方」なのか。これが本報告のテーマである。従来、「繁殖性」が顔との関係では不可能であった死の克服を可能にするという点から、「顔の彼方」が論じられてきた。つまり、まず顔としての他者との出会いがあり、次に子を産出する「エロス」が顔を超える経験として提示されるというわけである。
本報告は,別の観点を提示して、「顔の彼方」を論じる。エロスの相関者としてレヴィナスが提示する「女性的なもの」のエロティックな美は、顔との関係に依拠してはじめて生起する。顔との関係を前提としつつ、その顔を否定することによって女性的なものの美が際立つ、この顔の否定という契機が、「顔の彼方」を説明するものと思われる。本報告は、『全体性と無限』を中心としたレヴィナスの記述を読解することによって、この点を証し立てるものである。
まず第一章では、他人との対話の場面を考察し、顔との関係の要点が整理される。次に第二章では、愛撫の経験を起点として、他者とのエロティックな関係の諸特徴が見出され、顔との関係とエロティックな他者関係の相異点が指摘される。そして第三章で、エロティックな他者関係が顔との関係を前提とするということの意味が考察される。
本報告の特徴は、エロティックな現象の生起そのものに顔との関係が含意されているという点を明確化する点にある。「顔の彼方」を説明するものは、『全体性と無限』のテキストの順番や私たちの経験の順番、顔との関係では不可能であった死の克服などに限られないと思われるのである。

研究発表③「日本軍政下の上海にユダヤ絶滅計画は存在したか?」菅野賢治(東京理科大学)

昨年、本研究の発表者が訪れたオーストラリアの「シドニー・ユダヤ博物館」の一般展示室には、1940年のリトアニアで、いわゆる「命のヴィザ」の発給により数多くのユダヤ難民を救った杉原千畝の写真と並び、やはり戦時期、中国の上海に滞在、滞留していた二万人規模のユダヤ系住民を独=日共同の絶滅政策から救った「義人」として、当時、上海総領事館員だった柴田貢(しばた・みつぎ)の写真が掲げられている(2016年8月現在)。時折、博物館を訪れる日本人観光客たちは、杉原の写真を既知として確認しながら、他方の柴田については、いかにも怪訝そうに、その肖像と解説を代わる代わる眺めている。 発表者は、かねてよりトケイヤー、シュオーツの『河豚計画』(原著1979年)をつうじて柴田の存在を知っていた。帰国後、上海を経由した元ユダヤ難民たちの回想録や、各言語の史家たちによる研究書を繙いてみると、その多くにおいて、たしかに1942年夏、上海には駐日ドイツ大使館付警察武官ヨーゼフ・マイジンガーの肝いりによるユダヤ絶滅計画が存在し、それを柴田領事館員がみずからの職位を投げ打って阻止した、という記述が受け継がれている。他方、この逸話の史実性に疑問を禁じ得ない書き手たちは、あくまでも伝承にすぎない、とした上で言及するか、あるいは当初からこの逸話には触れずに済ませるか、そのいずれかである。かくして、ヨーロッパにおけるユダヤ教徒・ユダヤ人の絶滅に関する研究が、日本語でも、年々、充実・発展の一途を辿るなか、日本軍政下の上海に同種の絶滅計画が存在したのか否か、という歴史の問いには、いまだ信頼に値する定説がない、というのが現状である。
本研究発表においては、戦後、時間の経緯のなかで時に相互に矛盾し合う証言を時系列の上で整理し直し、同時代の状況証拠にも依拠しながら、この種の絶滅計画の「不在」を結論づけるための準備作業に着手する。


公開シンポジウム

提題①「中近世イベリア半島におけるユダヤ人(マラーノ)の移動」関哲行(流通経済大学社会学部教授)

封建制社会の危機の時代にあたる14世紀末、ユダヤ人のイメージは大きく劣化し、ユダヤ人はイエスを殺害した「神殺しの民」、「悪魔サタンの手先」とされた。こうした「負のイメージ」と社会・経済的危機を背景に、1391年、スペインで民衆を主体とした大規模な反ユダヤ運動が勃発した。15世紀に入るとドミニコ会士ビセンテ・フェレールが、イベリア半島全域で威圧的なユダヤ人改宗運動を展開し、有力ユダヤ人を中心に多くのユダヤ人が改宗した。しかし王権と教会は改宗ユダヤ人(コンベルソ)に、組織的な教化策を実施せず、偽装改宗者(マラーノ)が続出した。そのため1449年トレードで、コンベルソへの不信の表明ともいうべき「判決法規」が制定され、彼らによる都市官職保有が禁じられた。
こうした歴史的前提の上にカトリック両王は、ローマ教皇の認可を得て1480年、最初の異端審問所を開設した。新たな異端審問制度は、コンベルソの「真の改宗」を目的とした、国家と教会の組織的対応を意味し、「旧キリスト教徒」民衆の強い支持を受けた。しかしこの異端審問制度をもってしても、巧妙な偽装改宗者を防止できず、コンベルソ問題の抜本的解決には至らなかった。そこでカトリック両王は1492年3月、ユダヤ人に4か月以内の改宗か追放かの二者択一を迫るユダヤ人追放令を発した。追放令により新たに数万人のユダヤ人が改宗する一方、7~10万人のユダヤ人が信仰を守ってスペインを離れた。
スペインを離れたユダヤ人は、ポルトガル、フランス、オスマン帝国、マグリブ諸都市に向かったが、1496年にポルトガルでユダヤ人追放令が出されると、同様に多くのユダヤ人が改宗を強制された。1506年にはポルトガルで大規模な反コンベルソ運動が発生したばかりか、スペインとポルトガルの異端審問所の取り締まり強化、「血の純潔規約」の多様な機関や社団への導入を前に、16世紀以降もイベリア半島の偽装改宗者の亡命が相次いだ。これらの偽装改宗者は一般に、信仰の自由と自治権を保障するユダヤ人共同体が組織され、親族ネットワークを活用できる都市に移住する傾向があった。メシア思想や終末論が浸透する中で、偽装改宗者の一部は、パレスティナ地方やアメリカ植民地にまで進出したが、本報告では、イサーク・アブラバーネル、グラシア・ナシ、ウリエル・ダ・コスタを例に、ユダヤ人(マラーノ)の移動の一端を探りたい。


提題②「ルネサンスにおけるユダヤ思想――その思想と特質」根占献一(学習院女子大学国際文化交流学部教授)

ヒューマニズム(人文主義)・アリストテレス主義・そしてプラトン主義の観点から、ルネサンス文化を形成する時代の思想を理解することは可能であろう。中世との比較から、あるいはイタリア・ルネサンスの特徴から以下の点が指摘できるであろう。ヒューマニズムはフマニタス研究(studia humanitatis)のことであり、それまでの論理学(弁証法)重視のリベラルアーツに代わり、ここではレトリック重視の学科構成となった。アリストテレス哲学は大学の形成とスコラ学との関わりが深いが、ここではイタリアの大学の学部構成の特徴、特にパドヴァ大学でのアリストテレス読解の特質が注目されなければならないであろう。最後に、プラトン主義は中世来のラテン的伝統に加えて、新たにフィレンツェのマルシリオ・フィチーノ(1433-1499)を軸とするプラトン・アカデミーの活動を考えておかなくてはならないだろう。
では、これらの思想的潮流とともに、ルネサンスにおけるユダヤ(ヘブライ)思想はどのように特徴づけられるであろうか。本発表では、時代を代表する思想家を介して同思想の特質を明らかにすべく特に以下の人物たちに注目したい。先述のプラトン・アカデミーの一翼を担う、「人間の尊厳」の哲学者ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494)、宗教改革前夜の第5ラテラノ公会議(1512-1517)時代の重要な神学者エジディオ・ダ・ヴィテルボ(1469-1532)、そして宗教改革とイエズス会の活動期が始まった頃のフランスの特異な思想家ギヨーム・ポステル(1510‐1581)など。また彼らとの関連でユダヤ人の思想家なども取り上げられることになろう。
日本の学界では、ここで対象となる「ルネサンス」が「中世のルネサンス」――カロリング・ルネサンスや12世紀ルネサンスなどのほか、多数に上る――と同比重で語られがちであるが、これは重大な時代誤認だろう。本シンポジウムの狙いにあるように、ここでのルネサンスは宗教改革と同時代の出来事であり、近代の始まりを成す画期と位置付けなくてはならないほどの重要性を持っているのである。しかもそれは大航海時代ともなり、日本に「新キリスト教徒」を見出すことは困難ではなかった。


提題③「ルターのユダヤ人理解―近年の研究における新しい視点より―」村上みか(同志社大学神学部教授)

20世紀のホロコースト以後、ルターのユダヤ人理解に注目が集まり、特に彼の晩年の著作『ユダヤ人とその偽りについて』(1543年)の問題性が指摘され、批判的な考察が行われた。その後、1960年代頃より、ルター神学の歴史研究が進展し、彼のユダヤ人理解についても、それを歴史的視点から捉えなおし、その意図をより正確に理解しようとする試みがなされてきた。本発題は、これらの新しい研究成果に基づきつつ、ルターのユダヤ人理解を歴史的文脈の中に位置づけ、読み解くことを試みる。すなわち、ルターのユダヤ人についての発言は彼の置かれていたその都度の状況に規定されており、16世紀前半の時代状況、彼の宗教改革的神学の形成、宗教改革運動の展開、そして新しい福音プロテス主義タント教会(領邦教会)の形成といった諸要素との関連において語られ、またその内容を変化させていった、その様子を明らかにしたいと思う。一つの例を挙げるならば、初期ルターのユダヤ人批判の根拠は彼の新しい神学「信仰義認論」にあり、ユダヤ人の律法重視のあり方が「行為義認」的であるとするものであった。しかし行為義認の批判はユダヤ人だけでなく、キリスト者にも向けられており、ローマ教会の修道士やボヘミア兄弟団も同じレベルで共に批判を受けたのである。
このように歴史的プロセスを視野に入れることにより、ルターの発言の神学的、教会政治的意図が明らかとなり、その限界についても改めて考察を行うことになるだろう。その際、彼のユダヤ人理解を規定し、ナチズム台頭の一因ともされた彼の教会論(いわゆる二王国論)についても紹介する。さらにルター以後のドイツ・ルター派教会とユダヤ人との関係についても言及し、ルターのユダヤ人理解がそのまま20世紀に至るまで継続的に維持されたわけではなかったことも指摘する。
このような考察を通じて、ルターの理解をより正確に歴史の中に位置付け、その影響力や問題性についても、これまでとは異なった仕方で理解することが可能になるだろう。


提題④「宗教改革とラビ聖書:16世紀ユダヤ文献学の意義」手島勲矢(日本学術会議連携会員)

宗教改革の「聖典のみ(Sola scriptura)」は、プロテスタントの旗印として有名になるが、そこでは一体何が起きているのか?その「聖典のみ」の主張の理解には、より大きな視点で、ユダヤ文献学の文脈から考える必要を思う。プロテスタントは、カトリックに対抗する方法として、ヘブライ語原典の重要性をもって、それまでの教会の翻訳聖書を批判するのだが、そのヘブライ語聖書の出発点となるラビ聖書初版は、「ルターの95箇条の論題」と同じ1517年にヴェネツィアで出版されている。従って、ラビ聖書の存在が宗教改革の動機になったのでもなければ、宗教改革のゆえにラビ聖書が誕生するわけでもないと考えるべきであり、直接的にはお互いは無関係の出来事であると思われる。しかし、その後の歴史を見ると、ローマ教会の権威にプロテストする人々にとってラビ聖書の存在は小さくないし、逆にユダヤのラビ聖書にヘブライ語聖書の原点を求める姿勢はプロテスタントにとって全く問題無しとは言えない。宗教改革は、17世紀に向けて、イタリアのヘブライ語文法や聖書を巡るルネサンスを自分のものにすることで西洋のインテレクチュアル・ヒストリーに確かなインパクトを持つようになるが、ヘブライ語聖書ルネサンスが宗教改革にどの様な思想的影響を及ぼしたのかについて、ラビ聖書を生み出したヴェネツィアのボムベルグ出版の活動を中心に起こった聖書の認識変化の意義を尋ねながら、宗教改革が否応なく受け継がざるを得ない当時の思想的問題のリアリズムについて少し考えてみたい。


提題⑤「エラスムスからラブレーへと至る人文主義の一潮流とユダヤ」伊藤玄吾(同志社大学グローバル地域文化学部准教授)

「人文主義の王者」や「ヨーロッパの教師」と呼ばれ、人文主義と宗教改革を結ぶ大きな役割を果たしたエラスムスは、現代に至るまでヨーロッパの知的良心、寛容と統合のシンボルとされている。それは現代のEUにおいて、学生・教員の国境を越えての相互交流を促進するプログラムが「エラスムス計画」と呼ばれていることにもよく見て取ることができる。
近年、エラスムスの地元であるオランダにおいて、その著作群における反ユダヤ的側面を扱う研究書や論文が現れて話題となったが、それらの問題提起の中にはエラスムス研究上の専門的な議論にとどまらず、彼が象徴するヨーロッパの「人文的教養」とそれに基礎を置く「知的良心」や「寛容」の内実を再検討しようとする試みも当然ながら含まれている。
本発表では、エラスムスをめぐるオランダでの最近の論争を出発点にして、エラスムス自身そして彼に続く人文主義者たちのうち、1)ヘブライ語そしてユダヤの知の世界に深い関心を持ち、2)宗教改革に共感しつつもその本流とは一定の距離を保ちながら多くの著作を残し、3)その後の世代の思想と文芸に少なからず影響を及ぼした人物としてジャック・ルフェーブル・デタープル、そしてフランソワ・ラブレーへと至る人文主義の一潮流を取りあげ、それをユダヤの知および同時代のユダヤ人たちとの関わりという観点から考察してみたい。エラスムスの諸著作におけるヘブライ語聖書、ユダヤ的知そして同時代のユダヤ人に対する言及内容の様々な問題点を、当時の文脈を考慮しつつ丁寧に検討していくことは重要であるが、同時にそこにとどまることなく、それらの問題点が、彼を師と仰ぐ一連の人文主義者の著作の中でいかに引き継がれ、修正され形を変えながら、人文主義的教養を基盤とするヨーロッパの知的な言説世界の構成要素となっていったのかを検討することも重要であろう。エラスムスの諸テキストを起点にし、さらにルフェーブル・デタープル『詩篇校合五篇』、『校訂聖パウロ書簡と注解』およびラブレー『第四之書』の分析を手がかりに考察を進めたい。

ポスターPDFなど、詳細は下記公式HPにて
https://sites.google.com/site/kyotojewish/