2020年10月21日水曜日

日本ユダヤ学会第17回学術大会開催(オンライン)

 日本ユダヤ学会第17回学術大会
日時:2020年11月15日(日)13:20~17:00
会場:zoomによるオンライン開催

第17回学術大会プログラム
13:20~13:30 学術大会開催のあいさつ (学会理事長:市川裕)


13:30~14:00 菅野和也ソロモン(京都大学大学院)
「ユダヤ・アラビア語形成期におけるカライ派の役割: サロモン・ベン・イェロハムによる詩篇翻訳および註解から」

概要:ユダヤ・アラビア語文化の様相を語るうえでカライ派の存在は欠かせない。ヘブライ語原典を重んじた同派は9世紀後半から11世期中頃にかけてパレスチナで活動した。ラバン派ユダヤ教との論争のなかで、彼らはヘブライ語の研究だけでなく、アラビア語による翻訳と註解に注力し、ユダヤ・アラビア語文学の確立に寄与している。本発表は、サアディア・ガオンと同時代のサロモン・B・イェロハムによる詩篇翻訳と註解を通して、ユダヤ・アラビア語の形成期におけるカライ派の役割を考察する。

14:00~14:15 質疑応答


14:15~14:45 平田文子(埼玉工業大学)
「第三共和制の世俗学校計画とデュルケームのユダヤ教思想:世俗性と宗教性の狭間で」

概要:フランス社会学の祖とされるエミール・デュルケームは、フランスの公教育制度成立期に世俗道徳論を確立した人物である。そのため彼の道徳教育論は長い間、「宗教に依らない道徳論」として紹介されてきた。しかし、私は、彼の著作の殆どがユダヤ教思想を基盤としていると考えている。特にユダヤ教に見られる現実主義的・世俗主義的な宗教観が、政教分離による公教育制度成立を目指す第三共和制の施策と一致して、デュルケームが「世俗道徳論」を確立する役に選ばれたと考えている。本発表ではユダヤ教を棄てたと論じられてきたデュルケームが、実はプライベートにおいてはユダヤ教徒として生きぬいた証となる資料を提示し、彼の世俗道徳論が第三共和制の教育改革を担ったルイ・リアールやフェルディナンド・ビュイッソンの思想と一致した社会的・思想的背景を述べる。

14:45~15:00 質疑応答


15:00~15:10 休憩

特別報告 現在のヨーロッパ社会(ポーランドとドイツ)とユダヤ人 
15:10~15:15 司会・問題提起(鶴見太郎、東京大学)

15:15~15:55 宮崎悠(北海道教育大学)
「国民民主党の反ユダヤ主義は共有されていたのか:I.J.パデレフスキの思想からの検討」

15:55~16:30 大内宏一(早稲田大学)
「ドイツのユダヤ教徒組織の現在──ウェブ情報に基づいて」

16:30~17:00 自由討論

申込方法は日本ユダヤ学会ホームページ参照のこと
https://jewishstudiesjp.org/2020/10/20/conference2020/

2020年9月1日火曜日

Data Bases of Halakhic materials on Coronavirus Pandemic (COVID-19)

Kol Corona (כל קורונה)

Top Page
https://www.kolcorona.com/

Halachot
https://www.kolcorona.com/halachot


CORONA GUIDANCE: RELIGIOUS NORMS FOR NAVIGATING THE COVID-19 PANDEMIC
by Colby College

Main Page (Site Navigation)
http://web.colby.edu/coronaguidance/navigation/

JUDAISM

North America — National Organizations
http://web.colby.edu/coronaguidance/judaism/national/

North America — Local Organizations
http://web.colby.edu/coronaguidance/judaism/local/

North America — Individual Rabbis (and others)
http://web.colby.edu/coronaguidance/judaism/rabbis/

Israel
http://web.colby.edu/coronaguidance/judaism/israel/

Other Countries
http://web.colby.edu/coronaguidance/judaism/other/


2020年8月22日土曜日

神戸・ユダヤ文化研究会2020年第1回文化講座

神戸・ユダヤ文化研究会

2020年第1回文化講座(オンライン開催)

■日時:2020年9月12日(土)

13:00~14:45 講演①+質疑応答

15:00~16:45 講演②+質疑応答

17:00~17:55 全体討論

18:00~21:00 懇親会

 

■参加方法:オンライン(参加費は無料)

神戸・ユダヤ文化研究会ホームページを確認のこと

http://jjsk.jp/event/2020/08/21/2020-0/


■文化講座

①講演:「戦時上海のユダヤ人を救ったのは日本だったのか」

講師 :関根真保(立命館大学プロジェクト研究員、本会会員)

講演要旨:

ナチスの迫害から戦時上海に逃れてきたユダヤ人は2万人近くいた。日本が統治下の上海に彼らを受け入れ、方針として反ユダヤ主義をとらなかったことが、彼らをホロコーストから救ったとも言われている。さらに中国が自国の歴史の中で、上海ユダヤ人の足跡を振り返る際にも、「戦時上海のユダヤ人を救ったのは、中国ではなく日本だった」という主張が日本でなされてさえいる。

本講座はまず、「戦時上海のユダヤ人を救ったのは日本である」とする通説が定着するまでの過程を検証する。そして、上海ユダヤ人の歴史は、比較的自由を享受できた「リトル・ウィーン期」と、もっとも困難な生活を強いられた「上海ゲットー期」の二期に分けられることを提唱する。それによって今回のテーマに関する客観的な判断を促したいと考える。


②講演:「ハンナ・アーレントとニューヨーク知識人の邂逅――冷戦期アメリカにおける全体主義論」

講師:大形 綾(京都大学博士後期課程)

講演要旨:

本発表の目的は、戦中・戦後のアメリカ社会の変容を背景に、ハンナ・アーレントとアメリカのユダヤ系知識人の結びつきを考察することです。とりわけ、『全体主義の起原』の成功が、ニューヨークで活躍したユダヤ系知識人たちの社会進出を支えていたことを明らかにします。


詳細は神戸・ユダヤ文化研究会ホームページにて

http://jjsk.jp/event/2020/08/21/2020-0/

2020年8月21日金曜日

日本ユダヤ学会2020年第17回学術大会発表者募集

 日本ユダヤ学会2020年第17回学術大会

発表者募集

2020年11月15日(日)に第17回学術大会を開催いたします。

*今回はzoomによるオンラインでの大会となります。


発表ご希望の方は、仮題と200字程度の要旨を9月30日(水)までにayaka.takei(アットマーク)gakushuin.ac.jp(武井)宛にメールで送るか(件名に「学術大会発表希望」と記してください)、学会事務局宛にハガキで郵送してください。

発表時間は発表者数によりますが、25分~30分の予定です。発表をお願いするかどうかの決定は理事会にご一任いただき、結果は10月10日までにお知らせいたします。

非会員の方も会員のご紹介があれば発表できますので、お心当たりの方がいらっしゃればお声をかけてくださるようお願いいたします。

学会ホームページ
https://jewishstudiesjp.org/2020/08/21/annual_conference_2020/

2020年8月9日日曜日

京都ユダヤ思想学会第13回学術大会公開シンポジウム「中世ユダヤ教聖書解釈の諸相」

京都ユダヤ思想学会第13回学術大会(オンライン)

公開シンポジウム

「中世ユダヤ教聖書解釈の諸相 —キリスト教世界とその周辺—」

今年のシンポジウムでは、キリスト教世界の文化と対峙する中世ユダヤ教におけるさまざまな聖書解釈の営みに注目し、五名の登壇者による提題をおこない、みなさまとともに議論を進めていきたいと考えております。聖書学習や宗教論争、典礼詩やユダヤ教思想など、その聖書解釈の機会は多岐にわたり、そのつど聖書の言葉はユダヤ教世界に新たな息吹をもたらしてきました。シンポジウムでは大澤耕史会員による司会のもと、手島勲矢会員、加藤哲平会員、志田に加えて、勝又直也氏(京都大学)と李美奈氏(東京大学大学院)をお招きし、それぞれの専門分野から五つの提題をおこないます。その後、参加者のみなさまとの全体討議によって論点を明らかにし、彩り豊かなユダヤ教聖書解釈の諸相をともに描いていきたいと思っております。ご参加をお待ちしております。       

日時:2020年9月13日(日)

会場:オンライン(Zoom)

参加方法:学会ホームページあるいはポスターを参照のこと

学会ホームページはこちら

■大会プログラム 

9:15 Zoom受付開始

【個人研究発表】 (9:30−11:30)

9:30-10:10 研究発表① 司会:平岡 光太郎(同志社大学嘱託講師)

発表者:菅野 賢治(東京理科大学教授) 

 「上海無国籍避難民指定居住区の運営実態―實吉敏郎海軍大佐の未発表文書をもとに―」

10:10-10:50  研究発表② 司会:渡名喜 庸哲(立教大学准教授)

発表者:吉野 斉志(京都大学非常勤研究員)  

「パトナムとベルクソンの時間論 ―相対性理論をめぐって―」

10:50-11:30  研究発表③ 司会:後藤 正英(佐賀大学准教授)

発表者:福山 弘泰(京都ユダヤ思想学会会員)

「ラヴ・アブラハム・イツハク・ハ=コーヘン・クック研究における『八文集』(שמונה קבצים)の意義について」

 11:30−13:00   休憩


【シンポジウム】 13:00-17:00

「中世ユダヤ教聖書解釈の諸相:キリスト教世界とその周辺」

 司会:大澤耕史(中京大学助教)


13:00−15:30  提題   

 提題① 志田雅宏(東京大学講師)

「聖書解釈の広がりと深み ——中世キリスト教文化との対話のなかで——」           

 本報告では、中世キリスト教世界におけるユダヤ人のさまざまな聖書解釈の営みを取り上げる。ユダヤ人とキリスト教徒は、ときに聖書の正しい意味をめぐってキリスト教徒たちと論争をおこない、ときに聖書の「ヘブライ的真理」(Hebraica Veritas)を求める知的探究のなかでともに聖書テクストを学んだ。また、聖書に描かれた族長たちの物語や預言は、ユダヤ人にとって、ときにキリスト教世界の起源や運命についてほのめかすものであり、ときに彼ら自身が体験した迫害や暴力を乗り越えていくための慰めを与えるものでもあった。また、キリスト教世界のユダヤ知識人や思想家たちは、聖書テクストの深みへと潜っていき、カバラーや哲学の思索を存分に展開した。そうした思想は、聖書の言葉に新たな光を当てるだけでなく、ユダヤ教の日常的な宗教実践のひとつひとつに生き生きとした風を吹き込むものでもあった。
 本報告の目的は、キリスト教世界のユダヤ教聖書解釈というテーマの導入として、全体の枠組みとなるものを提供することである。キリスト教徒たちの社会において、ユダヤ人は「共生と対抗」という生のあり方を自分たちに課した。ラビ・ユダヤ教の教典タルムードにはしばしば強烈な反キリスト教的言説がみられるが、中世のユダヤ人法学者たちはそれを同時代の現実に合わせて解釈しなおし、共生の道を切り拓いた。その一方で、民衆による暴動や宗教論争に巻き込まれたときには、ユダヤ人はキリスト教文化への対抗によって、自分たちのアイデンティティと生命を守らなければならなかった。この「共生と対抗」という生のなかで、聖書を読むという営みもまた、きわめて大きな意義を持ったのである。
 報告では、中世キリスト教世界のさまざまなユダヤ人学者・思想家たち——ラシやヤコブ・ベン・ルーベン、ナフマニデス、ハスダイ・クレスカスらとなるであろう——のテクストを手がかりに、彼らの聖書解釈の営みにみられるキリスト教文化との対話の作法を明らかにしていきたい。


提題② 勝又直也(京都大学准教授)

「ピユートにおける聖書解釈」

 ピユートとは、安息日や祭日におけるシナゴーグでの礼拝の際に詠まれるヘブライ語の典礼詩であり、古代末期から中世にかけて、中東やヨーロッパのユダヤ共同体において、パイタンと呼ばれる典礼詩人らによって盛んに創作されてきた文学ジャンルである。イェシヴァーでのタルムードの学びを中心とするラビ・ユダヤ教の伝統では、シナゴーグにやってくる大衆に向けて詠われたピユートは、必ずしも権威のある文学ジャンルとはみなされていなかった(ピユート、パイタンという言葉自体が、ポイエテースというギリシャ語からの借用語であることから、ラビの側からの蔑称である可能性もある)。しかし、19世紀末のカイロ・ゲニザ文書の発見からもわかるように、当時のユダヤ共同体においては、いわゆるラビ文献の範疇にとどまらない、柔軟で活発な創作活動が数多く行われており、ピユートはその重要な構成要素であったのだ。
 ピユートは、アミダーやクリヤット・シェマといった、ユダヤ教における義務の祈りの枠組みの中で謡われることから、扱わなければならない内容があらかじめ決められている。例えば、クリヤット・シェマの祈りの中で謡われたヨツェルというジャンルの詩の第二ピユートでは、天使について言及しなければならない。それと同時に、パイタンは、そのピユートが詠われる日の特殊性も詩の中に入れようとした。それは他でもない、毎週の安息日や祭日において朗読されるトーラー(モーセ五書)やハフタラー(預言書など)の箇所である。古代末期のパレスチナでは、トーラーをセデルと呼ばれる部分に細かく分け、3年半ほどで読み終えたが、後にはバビロニアの伝統が支配的になり、トーラーをパラシャーと呼ばれるより大きな部分に分け、一年間で読み終えた。例えば、アミダーの祈りの中で謡われたクドゥシュタというジャンルの詩においては、第一ピユートと第二ピユートでその週のパラシャーが、第三ピユートでその週のハフタラーが引用されている。
 このように、ピユートとは、1)祈りの枠組みで要求される内容と、2)トーラーやハフタラー朗読の内容とを大胆に融合させる試みであり、一般のユダヤ人に向けて毎週提供された、新鮮で大衆的な(時に娯楽としての)聖書解釈という側面がある。さらに、時代や場所に応じて、3)ビザンツ、イスラーム、キリスト教といったマジョリティ文化の影響も垣間見ることもできる。本報告では、ゲニザ写本の解読に基づいたテキストを具体例として用いながら、1)~3)のダイナミックな関係性について紹介したい。


提題③ 加藤哲平(日本学術振興会特別研究員)

「迷える者たちの翻訳者 ——中世ユダヤ教聖書解釈におけるヒエロニュムス——」

 中世のユダヤ教聖書解釈者たちがキリスト教徒と宗教論争をするに際し、切り崩すべき牙城は「ウルガータ聖書」に他ならなかった。ウルガータ聖書とは、古代末期のラテン教父ヒエロニュムスによる翻訳を基礎として成立したキリスト教会のラテン語訳聖書のことである。アドリア海近くで生まれ、長じてはローマに遊んだヒエロニュムスは、回心体験を経て東方諸国を遍歴したあと、遂にはベツレヘムで聖書研究に挺身し、膨大な聖書注解書をものす傍ら、古ラテン語訳福音書の改訂とヘブライ語原典に基づく旧約聖書の翻訳を完成させた。ヒエロニュムスの死後、「普及版(ウルガータ・エディツィオ)」と呼ばれるようになったこの翻訳聖書は、中世を通じてキリスト教会の聖典として大きな権威を持つようになった。こうした権威に基づき、中世のキリスト教徒たちは聖書に関してユダヤ教徒と論争する場合、このラテン語訳聖書の記述をしばしば引き合いに出した。これに対しユダヤ側は、その翻訳を吟味して誤りを指摘することで、論争相手に対するこの上なく強力な反論材料を見出そうとしたのだった。本発表では、ウルガータ聖書やヒエロニュムスに言及している中世のユダヤ教聖書解釈者たちを取り上げ、彼の翻訳や解釈をどのように論争に利用したかを検証する。具体的には、ラシュバム、アブラハム・イブン・エズラ、ダヴィッド・キムヒ、ナフマニデス、著者未詳の『セフェル・ニツァホン・ヤシャン』、ヨセフ・アルボ、イツハク・アバルバネル、エリアス・レヴィタ、アザリヤ・デイ・ロッシ、トロキのイツハク・ベン・アブラハムらの著作を扱う。彼らは、一方では、ヒエロニュムスをキリスト教の代表者、すなわち「迷える者たちの翻訳者」と呼んで蔑み、その翻訳や解釈の誤りを取り上げて激しく攻撃した。しかし他方では、彼のユダヤ教聖書解釈への造詣の深さを称えつつ、彼をあたかもユダヤ教の代表者であるかのように見なすことで、むしろその主張に耳を貸そうとしない他のキリスト者たちを批判することもあった。発表の中では、フィロンやアウグスティヌスなど、ヒエロニュムス以外のギリシア・ラテン世界の聖書研究に関する釈義家たちの言及についても紹介したい。


提題④ 手島勲矢(関西大学非常勤講師)

「マソラー再評価をめぐる16-17世紀の聖書理解の新展開」

 16世紀にはフマニスムスと宗教改革の二つの精神の顔がある。その二つの知的な潮流が17世紀に向けて一つの大きな流れ、とりわけ聖書解釈の意識変化となって、ルターの「聖書のみ」のスローガンを生み、それまでの社会や文化の価値観を根底から覆すことになるのだが、その世界観の変化は、キリスト教会内だけに限定されるものではなく、ユダヤ教社会にも影響が及んでいて、事実、『メオール・エイナイム』(1573年)の著者アザリア・デ・ロッシは教会の聖書(七十人訳)についてヘブライ語で同胞たちにも紹介するーその事実にユダヤ教徒とキリスト教徒の距離の近さは確認される。
 このような16世紀の聖書解釈の意識変化を後押ししたものの一つが、ダニエル・ボンベルグによるユダヤ・ヘブライ書籍の出版事業である。そのヴェネチアでなされた出版事業は、まさにフマニスムスと宗教改革の精神を両方合わせたような事業であり、とりわけヤコブ・ベン・ハイムのラビ聖書(1525年)は、マソラーの伝統の厚みを広くヨーロッパのキリスト教徒に知らしめる一方で、ユダヤ人読者も数字の章立てなど教会の聖書伝統をはじめて意識させられることになる。またエリヤ・レヴィータのヘブライ語文法及びマソラー入門書『マソレット・ハマソレット』(1538年)は、キリスト教徒が関心を持つユダヤ教の母音記号とアクセント記号のモーセ起源に対する考察も行っていて、それは、ある意味、ヘブライ語で書かれた初めてのマソラー批判の萌芽といえる。その後、アザリア・デ・ロッシは、そのレヴィータの見解に対して、ラビの聖書解釈とは一致しないマソラーのアクセント伝統の側面に注目して、歴史的な思考の反論を試みている。
 なぜこのようなマソラー批判がこの時期にユダヤ教側に生まれたのかの説明として、エリヤ・レヴィータ、アザリア・デ・ロッシ、またヤコブ・ベン・ハイム、いずれもユダヤ教徒とキリスト教徒の両方に共有されるべき、歴史知見を土台にした新しい聖書理解を模索していた点は注目に値する。三人が始めた歴史としてのマソラーの理解は、ある意味で、それまでのユダヤの解釈伝統への挑戦でもあって、したがって、それぞれの文脈の中で同胞からの厳しい批判にもさらされる。このような16世紀のユダヤ学者の聖書理解は、それ以前の理解と比べて何か違うのか?新しい印刷時代の聖書解釈のニューノーマルの輪郭を考えてみたい。


提題⑤ 李美奈(東京大学大学院博士課程)

「宗教改革とヴェネツィアのユダヤ人 ——レオネ・モデナの聖書解釈——」

 近世イタリアでは、宗教改革の波が押し寄せるなかで、伝統的なキリスト教の権威が激しく揺さぶられた。それと同時に、キリスト教徒の学者たちのあいだでユダヤ教への関心が高まり、ヘブライ語やヘブライ語聖書テクスト、ユダヤ教思想を学ぶヘブライストたちが現れた。彼らはユダヤ教のなかに、同時代のキリスト教から失われてしまった本来の教えが守られていると考えたのである。そして、こうしたキリスト教世界の変化は、同時代のイタリアにおけるユダヤ教の聖書解釈にも影響をおよぼした。本報告では、その重要な事例として、17世紀のヴェネツィアのラビ、レオネ・モデナによるキリスト教反駁書『盾と剣』(Magen ve-Herev)を取り上げてみたい。本作品において、モデナはキリスト教の諸教義の誤りを指摘すべく聖書解釈を展開するが、その方法は、ユダヤ教の伝統を引き継ぎつつも、同時代のキリスト教世界の知的関心を反映したものであった。
 モデナは主に、聖書を理性的に読むことを主張する。この場合の理性は科学的な思考というよりももっと素朴なもので、一般人にも想像が可能なことである。比喩的な解釈や難解な哲学的思考を通さずに理解できなければ信仰に誤りが生じるとする彼の主張は、聖職者を通した聖書理解ではなく直接一般信者が聖書を読み理解することを目指した宗教改革者たちの信念に通じるものがある。他方で、カバラーを通してキリスト教の真理を発見しようとするクリスチャン・ヘブライストらに反して、モデナ自身は神秘的な解釈も否定し、あくまで字義的な読み方にこだわる。カバラー支持者はゲマトリアなどを利用して聖書の本文からは隠れた「本来的な」解釈を引き出そうと試みたが、モデナの目には、その方法はラビ・ユダヤ教の伝統を脅かす危険性を孕むものと映ったからである。
 さらにモデナは、原罪や三位一体に反論する際に、パオロ・サルピやピエトロ・ガラティノらキリスト教神学者による論争を根拠として引用する。モデナは、ユダヤ教から本来の教えを引き出そうとするヘブライストらの動きに同調し、自ら積極的に関わっているように思われる。ただし、クリスチャン・ヘブライストが、ユダヤ教をキリスト教の原型として位置づけ、キリスト教の「本来の」姿をそこに見出そうとするのに対して、モデナはその「ユダヤ教的な」原型とその後のキリスト教のあいだの乖離を強調する。モデナはイエスの奇跡や言行を否定せず、むしろ福音書を熱心なユダヤ教指導者の記録と捉え、その記述がキリスト教教義と離れていることを示す。
 モデナがキリスト教への反論として聖書を読むとき、彼の念頭に置かれていたのは、同時代のキリスト教世界の改革者たちのユダヤ教観であった。改革者たちは、教会批判と結びつくかたちで、ユダヤ教をキリスト教の源泉として再評価し、二つの宗教を接近させることを試みた。モデナは彼らの知的関心に影響を受けつつも、むしろそこからキリスト教への批判を展開し、聖書解釈を通じて、ユダヤ教とキリスト教の間に新たな境界線を引く作業を行なったと言えよう。 


15:40-17:00   質疑応答

(シンポジウム企画担当:志田雅宏)


2020年6月26日金曜日

E. Alexander & B. Berkowitz (eds), Religious Studies and Rabbinics: A Conversation

Religious Studies and Rabbinics: A Conversation
Elizabeth Alexander, Beth Berkowitz eds.
Routledge, 2017

Contents
Introduction – Elizabeth Shanks Alexander
Part I: The History of Religion
1. Religious Studies, Past and Present – Randall Styers
2. Different Religions? Big and Little "Religion" in Rabbinics and Religious Studies – Beth A. Berkowitz
3. J.Z. Smith on the Study of Religion, Humanities and Human Nature – Kurtis R. Schaeffer

Part II: Managing Commitments
4. "A Cheerful Unease": Theology and Religious Studies – Paul Dafydd Jones
5. Reading Midrash as Theological Practice – Deborah Barer
6. Alexandria between Athens and Jerusalem: Religious Studies as a Humanistic Discipline – Charles Mathewes

Part III: Comparative Rubrics and Rabbinic Data
7. The Legal Language of Everyday Life in Rabbinic Religion – Chaya Halberstam
8. Time, Gender and Ritual in Rabbinic Sources – Sarit Kattan Gribetz
9. Ritual Failure, Ritual Success, and What Makes Ritual Meaningful in the Mishnah – Naftali S. Cohn

Part IV: Critical Reading
10.Thou Shalt Not Cook a Bird in its Mother’s Milk?: Theorizing the Evolution of a Rabbinic Regulation – Jordan D. Roseblum
11. Learning How to Read: How Rabbinics Aids in the Study of Contemporary Christian Scripture-Reading Practices
12. From the General to the Specific: A Genealogy of "Acts of Reciprocal Kindness" (Gemilut Hasidim) in Rabbinic Literature – Gregg E. Gardner

Information on the book
https://www.routledge.com/Religious-Studies-and-Rabbinics-A-Conversation/Alexander-Berkowitz/p/book/9781138288805

Book review (from Ancient Jew Review)
https://www.ancientjewreview.com/articles/2020/6/15/religious-studies-and-rabbinics?fbclid=IwAR3MQvm1u1AuvlItGssvunXXAl71HzKLXQLuA9SSQfrAbdPQLGMbQAkVFXM

2020年6月10日水曜日

松下幸之助国際スカラシップ2020年度募集

公益財団法人 松下幸之助記念志財団
松下幸之助国際スカラシップ
2020年度募集

募集人員:5名程度(学部生)、15名程度(大学院生・研究機関在籍者)
応募書類受付期間: 2020年6月1日(月)~7月27日(月)

選考方法 9月中旬(書類選考)、9月28日(月)(面接選考) ※書類選考合格者のみ
採否通知 10月中旬

【助成対象】
世界的な視野に立った研究
諸施策の提案、調査研究活動
助成対象研究

アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国の大学・大学院及び政府研究機関に所属しての調査研究
この場合のアジアとは西は西アジア(※1) 中央アジア(※2) 北はモンゴル、南はインドネシアまでとします。アフリカはアフリカ大陸と周辺の島嶼部。ラテンアメリカはメキシコ以南(カリブ海地域を含みます)

※1 アラビア半島6 カ国、アフガニスタン、イラン、イラク、イエメン、レバノン、シリア、ヨルダン、イスラエル、トルコ、キプロス
※2 カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン

詳細は松下幸之助記念志財団のホームページにて
「松下幸之助国際スカラシップ2020年度募集要項」



2020年5月20日水曜日

神戸・ユダヤ文化研究会2019年度文化講座 オンライン開催のお知らせ

神戸・ユダヤ文化研究会2019年度文化講座 
オンライン開催のお知らせ

日時
2020年5月24日(日) 14:10~17:00


①講演:フランスにおけるユダヤ哲学―ジェラール・ベンスーサンの仕事
●講師 :影浦 亮平(京都外国語大学講師、本会会員)
●講演要旨:
本講演ではフランスにおいてユダヤ哲学の大家として知られるジェラール・ベンスーサン(ストラスブール大学名誉教授)の著作『メシア的時間』(法政大学出版局、2018)と『ユダヤ哲学とは何か』を取り上げます。ギリシア語圏(フィロン)、アラビア語圏(マイモニデス)、ドイツ語圏(メンデルスゾーン、ヘルマン・コーエン、ローゼンツヴァイク、ブーバー、レヴィナス)におけるユダヤ教と哲学の出会い、そして常に母語から切り離されて語られることを運命づけられたユダヤ思想の展開について考察してみたいと思います。さらに現代哲学におけるユダヤ・メシアニズムの展開、直線的な時間進行を中断する出来事の到来としての「メシア的時間」が現代哲学の中でどのような位置を占めているかについても検討してみます。
●講師略歴:
京都外国語大学講師、ストラスブール大学ドイツ・現代哲学研究センター客員研究員。2005年に京都大学総合人間学部卒業、2007年にストラスブール大学で修士課程修了、2012年に博士課程修了。哲学博士(ストラスブール大学)。専門は、フランス・ドイツの近現代哲学、倫理学、ヴァルター・ベンヤミン、ジョゼフ・ド・メーストル。著書は、Doxa(共著)、Joseph de Maistre and his European Readers(共著)、『現代スペインの諸相 』(共著)。修士論文と博士論文の指導教官はジェラール・ベンスーサン。

②討論会「ユダヤ人と感染症」
●討論テーマ
新型コロナウィルスの蔓延から、人類と感染症との関わりを問い直すような言説がいまあらためて注目を集めています。ユダヤ史という視点からこの問いに向き合うとき、私たちの前にはどのような展望が開けてくるでしょうか。

ペストやコレラ、梅毒やチフスといった感染症とユダヤ人とが結び付けられて語られてきたいくつかの歴史的契機を概観する一方、ユダヤ人たちの感染症に対するまなざしの変化にも着目しながら、目下の感染症に私たちがどう向き合っていくのか、ユダヤ史とともに考えていく手掛かりをさぐっていきたいと考えています。

主催者側からいくつかの話題や情報の提供は致しますが、参加者の各々がそれぞれに疑問や意見を呈示しあうような、自由な形式の討論ができればと思います。積極的なご参加・ご発言をお待ちしております。

参加方法については下記の公式ウェブサイトから
神戸・ユダヤ文化研究会ウェブサイト

2020年5月7日木曜日

宗教学の文献紹介(文庫・新書限定)

宗教学の文献紹介

これまで、いくつかの大学で一般教養科目として宗教学の講義を担当するなかで、受講生たちから学んだことのひとつは、「なぜ宗教を学ぶのか」という問題に対して、つねに自覚的でなければならないことである。他分野を専攻する学生、宗教を教養として学びたいと思っている学生、そしてこれから本格的に宗教を学ぼうという意志を持つ学生には、宗教についての学びを広く開いていき、自分自身の知的関心になんらかのかたちでつなげていってほしいと願っている。そのためにまず重要なことは、自分が暮らしている社会が宗教に対してどんなイメージおよび理解を持っているのかを自覚しておくことであると思う。この紹介では、自分の講義の主たるテーマとして取り上げてきた一神教世界を理解するための豊かな知見を提供してくれる文献と、現代において宗教と向きあう自覚をうながしてくれる文献を取り上げてみたい。

① 小原克博『一神教とは何か』平凡社新書、2018年
 国内の一神教文化研究を主導する同志社大学のCISMOR(一神教学際研究センター)に従事してきた著者による一神教の概説書。日本では一神教が得体の知れないものとして、しばしば単純化されたレッテルを貼られてきたことに対する問題意識が最初に示されている。自分の勝手なイメージを他者に投影する偏見には、深刻な暴力性が潜んでいる。一神教を学ぶことには、そうした社会的な、あるいは自分自身が無意識のうちに持っている偏見と闘う作法を養うことも含まれるのである。なお、CISMORによる一神教研究については、刊行物や講演動画など、公式のウェブサイトで幅広く公開されている。
http://www.cismor.jp/jp/

② 藤原聖子『教科書の中の宗教』岩波新書、2011年
藤原聖子『世界の教科書でよむ〈宗教〉』ちくまプリマー新書、2011年
 東京大学の宗教学研究室にて教鞭をとる著者が、日本の公立学校における宗教教育の根深い問題を指摘した書籍(前者)。異文化理解・多文化共生のために宗教を学ぶことの重要性は、これまで国連で何度も表明されてきたが、日本の小中高ではなかなかそれが浸透せず、著者自身も教科書の作成においてさまざまな障壁や苦労に直面してきたことが記されている。私の担当講義で学生たちの声を実際に聞いてみても、宗教について本格的に学ぶ機会は、大学に入って宗教学の講義を取ったのが初めてであったという意見が非常に多く、本書で指摘されている課題を私も実感している。「○○教は愛の宗教」というような紋切り型の説明に終始せず、身近な場面から諸宗教の価値観や考え方を学び、学生たちがそれぞれ自分の意見を持ち、議論をするという教育の場を作っていくために、私もなんらかのかたちで貢献していきたい。なお、欧米やアジア、イスラーム圏など、海外のさまざまな教科書における宗教についての記述を紹介した後者も興味深い。

③ 青木健『古代オリエントの宗教』講談社現代新書、2012年
 ゾロアスター教研究の世界的な権威である著者による、古代世界の比較宗教史。さまざまな宗教が、かならずしも個々の境界線が明確でない仕方で生きていた世界を、「聖書ストーリー」の受容という視座のもとでとらえ、その歴史的展開を壮大なスケールで描いている。ユダヤ教、キリスト教、イスラームという三つの一神教は、「アブラハム宗教」(Abrahamic religions)という用語で括られることもあるが、このアブラハム宗教の歴史と展開についての研究は、まだ日本ではほとんどおこなわれていない。古代から中世初期における中東の多様な宗教世界という文脈のなかで、巨大な一神教世界がどのように出現してきたのかを考えるとき、本書が刺激的な知見を与えてくれる。

④ 市川裕『ユダヤ人とユダヤ教』岩波新書、2019年
 東京大学の宗教学研究室で長く教鞭をとってきた、日本のユダヤ教研究の第一人者によるユダヤ教論。歴史、信仰、学問、社会という4章の構成で、狭い意味での「宗教」に限定されない「生き方そのもの」としてのユダヤ教を縦横に論じている。現在は残っていない長崎のユダヤ教礼拝所(シナゴーグ)を訪れた斎藤茂吉が、ユダヤ新年のお祝いのために集まってきた当時のユダヤ人たちの礼拝を見て詠んだ歌など、ユニークなエピソードもちりばめられている。末部には日本の読者のための詳細な文献紹介もついている。

⑤ 菊地達也編『図説 イスラム教の歴史』河出書房新社、2017年
井筒俊彦『イスラーム文化』岩波文庫、1991年
 ユダヤ教、キリスト教、イスラームという三つの一神教のなかで、日本の読者向けに入門書を書くことの意義について最も自覚的なのはイスラーム研究者であると思う。井筒の入門書(後者)はまさにその嚆矢といえるが、近年の概説書で最も推薦したい書籍のひとつが、本校のイスラム研究室で教鞭をとる著者の編集による前者である。豊富な写真と図により、イスラームの歴史と現在が多角的に紹介されており、その豊かな宗教文化を楽しんで読むことができる。また、イスラームを知ることについて、「他者」表象の観点から比較するのも面白い。現代日本のイスラーム理解(小村明子『日本のイスラーム』朝日新聞出版、2019年)と、中世西方キリスト教世界のイスラーム理解(R.W.サザン(鈴木利章訳)『ヨーロッパとイスラーム世界』ちくま学芸文庫、2020年)を比べると、それぞれの時代や地域の価値観が「イスラーム」という他者に投影されており、結果としてまったく異なるイスラーム像が描き出されていることに気づくだろう。


⑥ 伊藤邦武ほか編『世界哲学史』(全8巻)ちくま新書、2020年
 筑摩書房による2020年の興味深いシリーズ。「世界哲学」をコンセプトとし、西洋の哲学を「哲学」と呼び、その他の哲学を「○○哲学」と呼ぶ、西洋中心的な視座を根本から揺るがすことをその目的としている。世界哲学を冠する近年のシンポジウムでは、日本や中国の思想研究者、芸術の研究者など、幅広い分野の研究者たちによる議論をおこない、さまざまな知見を市民社会と共有する試みがみられるが、そのなかで宗教学のはたす役割も小さくはなく、本シリーズにおいても宗教学の研究者が積極的にかかわっている。世界哲学はまだ黎明期にあり、その未来を見通すことは到底できないが、宗教学およびユダヤ教研究に携わる者として、これからも提言を試みていきたい。

⑦ オットー(久松英二訳)『聖なるもの』、岩波文庫、2010年
 20世紀前半には、後の宗教学の「古典」となる著作がいくつも書かれたが、ルードルフ・オットーの『聖なるもの』もそのひとつである。オットーは、宗教には本質的な根源としての「聖なるもの」が存在すると考え、その特徴をあらわすために「ヌミノーゼ」という語を創り出した。「ヌミノーゼ」を体験する人は、「戦慄すべき畏怖」の感情にとらわれるが、同時にその聖なるものに「魅せられる」というのである。言語化することのできない「ヌミノーゼ」を、オットーはそれでも言葉を尽くして説明を試みる。宗教学の講義ではそのイメージを持ってもらうために、さしあたり「怖いもの見たさ」という表現から始めているが、はたしてどこまで「ヌミノーゼ」に迫っているのか。それを吟味するには、やはりこの古典を注意深く読みなおす必要があるだろう。

⑧ スピノザ(畠中尚志訳)『神学・政治論』岩波文庫、1944年
 ヘブライ語聖書(旧約聖書)はユダヤ教とキリスト教の教典として、日々の宗教実践から哲学・神秘主義の宗教思想まで、あらゆる営みの源泉であり続けてきた。17世紀のユダヤ人思想家スピノザは、こうした宗教伝統における聖書解釈が、聖書テクストの真理をそのテクストの外に置き、その真理の視座において聖書を読むことであったと批判し、テクストの真理はその中にあると主張して、あらゆる宗教的権威から聖書を解放し、自由に読むことの必要を訴えた。宗教伝統を意識的に対象化し、自分自身と距離を取って、それを批判的に検討するというスピノザの『神学・政治論』は、聖書の研究にかぎらず、宗教的なテクストを読もうとするすべての人にとって必読の書であるといえよう。なお、長らく読まれてきた畠中訳の他に、近年吉田量彦訳(光文社古典新訳文庫、2014年)も出版されており、新たな息吹に満ちた新訳を読んでみるのも面白いだろう。

⑨ レッシング(篠田英雄訳)『賢人ナータン』岩波文庫、1958年
 18世紀ドイツ啓蒙主義を代表する作家レッシングによる戯曲。検閲によって他宗派・他宗教の意見を封殺する当時のドイツ・プロテスタント社会を「ヨーロッパで最も奴隷的な国」と批判するレッシングが、宗教的寛容を訴えるべく執筆した作品である。劇の舞台は十字軍とイスラーム王朝の戦争により猖獗をきわめる中世のエルサレムであり、主人公のユダヤ人商人ナータンをはじめ、キリスト教世界とイスラーム世界の衝突に翻弄される人々が言葉をかわしていく。三つの一神教の平和的共存を願う「三つの指輪のたとえ話」など、本劇は宗教間の愛や家族の愛を主題とするものだが、自身の善良さを信じて疑わず、人の意見に耳を貸そうとしない当時のドイツ社会の姿を作中のある登場人物に投影させるなど、レッシングの冷徹な目が随所に隠れており、何度読みなおしても味わい深い。

⑩ ジョン・ロック(加藤節・李静和訳)『寛容についての手紙』岩波文庫、2018年
ヴォルテール(中川信訳)『寛容論』中公文庫、2011年
 レッシング同様、17~18世紀のヨーロッパにおける代表的な寛容思想の作品。ロックの作品はオランダのプロテスタントに宛てた書簡、そのロックに啓発されたヴォルテールの作品は広く市民をその読者に想定したエッセイとして書かれた点も特徴的である。前述の『賢人ナータン』もそうだが、当時のヨーロッパにおける思想的課題としての「寛容」は、各国での宗教的な差別や迫害が激化する現実に応答するものであり、宗教のレベルでの寛容を実現することを目的としたものである。それに対しては、「宗教的に寛容であれば、人は他者とわかりあえるのか」「寛容の問題を宗教に限定するのは、視野の狭窄につながるのではないか」という批判もあってしかるべきだろう。寛容思想の古典を読みなおすことの現代的な意義があるとすれば、それは宗教的寛容をさらなる思考のためのひとつの突破口とすることである。そこには、宗教についての学びを、さらに広く開いていくという宗教学のあり方と通奏するものがあると思われる。



2020年3月31日火曜日

『世界哲学史4』(ちくま新書)所収「中世ユダヤ哲学」

伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留 責任編集
『世界哲学史4:中世II 個人の覚醒』
ちくま新書、2020年4月刊行

目次
1 都市の発達と個人の覚醒(山内志朗)
2 トマス・アクィナスと托鉢修道会(山口雅広)
3 西洋中世における存在と本質(本間裕之)
4 アラビア哲学とイスラーム(小村優太)
5 トマス情念論による伝統の理論化(松根伸治)
6 西洋中世の認識論(藤本温)
7 西洋中世哲学の総括としての唯名論(辻内宣博)
8 朱子学(垣内景子)
9 鎌倉時代の仏教(箕輪顕量)
10 中世ユダヤ哲学(志田雅宏)

世界哲学史 全8巻

2020年1月31日金曜日

勝又悦子ほか編『一神教世界の中のユダヤ教:市川裕先生献呈論文集』

『一神教世界の中のユダヤ教:市川裕先生献呈論文集』
(勝又悦子・柴田大輔・志田雅宏・高井啓介編、リトン、2020年1月)

目次
まえがき(pp. 3-6)
市川裕先生の略歴・業績一覧(pp. 11-27)

第一部 古代西アジア世界とヘブライ語聖書
柴田大輔「古代メソポタミアの一神教」(pp. 31-56)
細田あや子「メソポタミアのマクルー儀礼における火と水の力」(pp. 57-90)
高井啓介「「アバル・ナハラ州(エビル・ナーリ)の総督」とアール・ヤーフドゥ共同体」(pp. 91-112)
加藤久美子「魅力ある女は、名誉を摑む 自分自身に報いる者だ、友愛に富む者は―ヘブライ語聖書箴言11章16-22節の構造と意味―」(pp. 113-133)

第二部 古代地中海世界とキリスト教
小堀馨子「古代ローマにおける卜占」(pp. 137-162)
上村静「第二神殿時代におけるガリラヤのリーダーたち—ユダヤ性への問い―」(pp. 163-188)
土居由美「ユダヤ教からキリスト教へ―異教世界と接して―」(pp. 189-220)
中西恭子「アウグスティヌス『神の国』における「地上の国の宗教」」(pp. 221-240)

第三部 ラビ・ユダヤ教の展開
櫻井丈「ユダヤ民族的出自の新生―バビロニア・タルムードにみる血縁擬制としての改宗概念」(pp. 243-272)
勝又悦子「「民」と「自由」と「偶像崇拝」—出エジプト記ラッバ41章を中心に―」(pp. 273-299)
嶋田英晴「中世イスラーム世界のユダヤ社会における教育と破門の機能について」(pp. 301-317)
志田雅宏「ハイーム・イブン・ムーサ『盾と槍』—15世紀の宗教論争とその知的背景—」(pp. 319-344)

第四部 近現代ヨーロッパのユダヤ人とユダヤ教
李美奈「近代的ユダヤ人ステレオタイプの形成―17世紀イタリアに見る市民としての受容の前段階」(pp. 347-365)
青木良華「ヴォロジン・イェシヴァ考察―ミトナグディーム揺籃の場―」(pp. 367-393)
立田由紀恵「ボスニアにおけるユダヤ人の歴史と社会」(pp. 395-417)

執筆者紹介(pp. 419-421)
あとがき(pp. 422-423)

2020年1月25日土曜日

(2/26更新 このシンポジウムは中止となりました!)シンポジウム「モノとアイデアの古代宗教世界」

(2/26更新
このシンポジウムは中止無期延期となりました! 新しい開催日はあらためてお知らせいたします)

「イスラエル国ガリラヤ地方の新出土シナゴーグ資料に基づく一神教の宗教史再構築」最終シンポジウム
モノとアイデアの古代宗教世界
―新出土シナゴーグをめぐる宗教研究の新たな試み―

日時:2020年3月1日13:00~18:00
場所:東京大学本郷キャンパス法文二号館一番大教室

プログラム
13:00–13:15趣旨説明
市川裕(本科研プロジェクト代表者、東京大学名誉教授)

13:15–15:15
第一部 食と宗教の古代宗教比較文化論
司会:土居由美(東京大学大学院人文社会系研究科研究員)
発題者
葛西康徳(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
「古代ギリシア宗教と動物犠牲――問題は解決されたのか?」
勝又悦子(同志社大学神学部准教授)
「異教徒との接点としての食」
牧野久実(鎌倉女子大学教育学部教授)
「土器資料に見る食の変容~フタと容器の関係から」
発題者によるディスカッション

15:45–17:45
第二部 新発見シナゴーグから見るイエス時代のユダヤ教
司会:中西恭子(東京大学大学院人文社会系研究科研究員)
発題者
上村静(尚絅学院大学総合人間科学部教授)
「ガリラヤのユダヤ化とその諸相――ハスモン時代からミシュナ時代まで」
山野貴彦(立教大学文学部非常勤講師)
「紀元後1世紀のガリラヤとユダヤにおけるシナゴーグ共同体の形成」
江添誠(神奈川大学外国語学部非常勤講師)
「バル・コホバの乱(第二次ユダヤ戦争)における砦~その立地と戦略~」
発題者によるディスカッション