2018年5月7日月曜日

宗教史学研究所第67回研究会

宗教史学研究所
第67回研究会

日時:2018年6月30日(土) 13:00-18:00
場所:東洋英和女学院大学大学院201教室

12:30 受付開始

13:00-14:30 発表1 細田あや子(新潟大学)
「メソポタミアの儀礼で用いられる小像」
<概要> 文献資料と考古学資料から、前 1 千年紀、新アッシリア時代の王の宮殿や個人住宅の基礎部分に神や動物などの小像が埋められていたことが知られている。それらは建物の入り口や門の下に埋められており、なかには「悪よ、退け」「福よ、来たれ」といった文言が刻まれているものがある。このようなことからこれらの小像は、外部からの悪、疾病、敵などが室内に侵入しないようにする防御の意味や、家内安全を祈願する働きをもっていたと考えられる。これらの小像は、アーシプという職能者により、粘土やタマリスクの木などを用いて作られた。メソポタミアにおいて、アーシプの機能は儀礼の執行や病気治しなどさまざまな分野に及ぶ。そのアーシプの働きの一つとして、本発表では、アミュレット(護符)の制作とそれに関する儀礼を取り上げる。アーシプが制作した像がいかにして、人間から悪や疾患を遠ざけ、家の安泰を導く役目を持っていたか、建築内部と外部との境界をどのように仕切っていたのか、儀礼のコンテクストに着目して考察する。神々や、犬や蛇の動物、あるいは混成動物などの Mischwesen をかたどった小像の種類や分類にも注目する。

14:30-14:40 休憩

14:40-16:10 発表2 宮嶋 俊一(北海道大学)
「現代における物的宗教論をめぐって」
<概要> 宗教の物質性に着目した研究が盛んである。マシュー・エンゲルケはその論考において「あらゆる宗教は物質宗教である。あらゆる宗教は、物質性を伴った媒介(メディア)との関連において理解されなければならない。そこには必然的に、宗教的な事物、行為、言語の考察が含まれるが、それらはあっという間に視界や音声から消え去り、雲散霧消するとしても、やはり物質的であるのだ」と述べている。また、ブリュノ・ラトゥールは、物神崇拝について次のように論じている。近代人は物神崇拝(フェティシズム)を批判してきたが、それは被製作性(人間性、内在性)と聖性(神性、超越性)が矛盾すると考えられてきたからだ。しかし、製作と超越は矛盾しないし、近代人もまた超越的なものを大量に製作しているのだ、と。古典的な宗教現象学もやはり事物の宗教性に着目してきた。物質の持つ宗教性をエリアーデは聖と俗の弁証法という形で説明し、ハイラーは同心円的方法においてそれを宗教の対象世界と呼んだ。本発表ではそうした古典的な宗教現象学の成果と今日の物質宗教論を比較し、その意義や可能性について考察を加えたい。

16:10-16:20 参加者自己紹介

16:20-16:30 休憩

16:30-18:00 発表3 林 淳(愛知学院大学)
「近代仏教史における「媒介者」―仏教的知識人の登場―」
<概要> 21世紀になり、近代仏教の研究が、一つのブームになった。近代仏教をテーマにした書籍や論文が多く出されて、近代仏教にかかわるシンポジウムやパネルが、日本宗教学会などで目立つようになった。本発表は、そうした成果をふまえ、近代仏教を総体的に理解することを試みたい。私は「仏教的知識人」という用語を造語し、近代以前の仏教と近代以後の仏教の相違点を論じたいと考える。それでは、仏教的知識人とは誰か。前近代では、僧侶は、書籍を読み、文字を書くことができる知識人層であった。彼らの知識の源泉は、漢文で書かれた経論や漢籍にあった。近代の仏教的知識人は、浄土真宗の寺院に生まれたり、一度は出家したりしながらも、僧侶の伝統的な生き方を選択せず、西洋の言語や学術を修得し、教育、学術、言論などの分野で活躍した。彼らは、僧侶とは異なる方法で仏教を語ることができた。彼らの特徴は、政治、教育、言論などの諸領域と仏教界との「媒介者」であったところにある。近代仏教史は、こうした媒介的な知識人を必要としていたと見ることはできる。